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    ネットは政治を変えるか

    • 2012.12.22 Saturday
    • 18:16
     

    ネットは政治を変えるか

    Seibun Satow

    Dec, 21. 2012

     

    「インターネットには情報があふれていると言いますね?それは嘘です。私が見てもわからないものがそれこそ山ほどあります。私がわからないものは情報ではありません」。

    河合明宣

     

     インターネットが選挙運動の際に最初に注目を浴びたのは2000年の米国大統領選挙である。80年代に公民権を獲得した若年層、すなわちジェネレーションXがブログやメーリング・リストなど新たなウェブ・サービスを活用して、政治参加する。これは世間を驚かせる。従来、この世代は三無主義のしらけ世代で、TVゲームに遊び耽るだけ、政治に興味がないと思われていたからだ。

     

     「ジェネレーションX(Generation X)」という名称はダグラス・クープランドによる同名小説に由来する。この作家はマガジンハウスで働いていた経験があり、『ジェネレーションX』は田中康夫の『なんとなく、クリスタル』のリメークと言っていい作品である。

     

     しかし、ジェネレーションXは、全般的に、リベラルであり、政治に背を向けてきたわけではない。このリベラルは国家ではなく、市民社会に基礎を置く多元主義である。彼らはネットの理念「自立・分散・協調」を信じ、その実践を試みている。協力を必要とする公共性への関心は以前から持っている。公共性や公益性への貢献に関して並々ならぬ意欲を秘めている。

     

     2000年の選挙の主要な争点の一つに、地球温暖化を始めとする環境問題が含まれている。これは非常に公共性の高いトピックである。ジェネレーションXはこの問題に沈黙を決めこむわけにはいかないと思い、なじんできたネットを利活用して政治にコミットメントする。メールを使って政治集会を呼びかけ、ブログで自分の意見を表明する。インターネットはその出自からも公的情報の共有に適している。先行世代と違うマイ・ジェネレーションの政治活動を展開し、ネット上に建設的な政治議論が満ち溢れる。

     

     この動きは、日本を含め他国にも影響を与える。2000年の長野県知事選挙に立候補した田中康夫がネットを活動に採り入れようとしている。けれども、日本は選挙の規制が厳しく、ネットの活用が制約されている。現状に落胆しながらも、規制が緩和されれば、アメリカのように、ネットによって日本にも新しい民主主義が生まれると期待される。80年代に選挙権を得た佐藤清文という文芸批評家もその一人である。彼は98年頃からそんなことをウェブで非常に楽観的に主張している。

     

     しかし、その予想は外れる。日本のネットには建設的な政治議論以上に、誹謗中傷や根も葉もない噂、恣意的な価値判断、無責任な極論、偏見に満ちた排他的なジンゴイズムなどグロテスクな言説が勢力を伸ばす。それはそもそもネットの理念に反しており、存在意義さえ疑わせるもであったが、当人たちにはそうした自覚もない。ネットは匿名性が高いから、攻撃しても反撃しにくいだろうと言いたい放題だ。ユーザー以外からは2ちゃんねるを代表に醜悪とも害悪とも評される有様である。

     

     インターネットは社会的インフラである。インフラには、交通インフラであれば移動を容易にするように、参加のハードルを下げる機能がある。ネット上の現象の多くは、それならではではない。なくとも起きる事象を増幅したものである。インターネットの情報は玉石混淆だと言うけれども、各種の陰謀論が刊行されているように、出版物も同様である。ネットが示すのは現実世界の拡大された姿である。

     

     ジェネレーションXが展開したネットによる民主主義はアメリカの政治文化の増幅された光景である。幼い頃から政治に関心を持ち、周囲と議論を積み、政治家や行政との直接的対話やタウンミーティングに参加する。そうした文化がネットによって拡張したのがジェネレーションXの活動であって、まったくの無から生まれたわけではない。

     

     実際、その後の米国の政治家のネット利用も従来の活動の延長にとどまっている。身近さを印象づけようとツイッターで支持者に近況報告したり、記者からの質問がないユーチューブで意見表明したり、好感度を上げるためにフェイスブックで写真やコメントを公開したりしている。国防総省がゲーミフィケーションを利用しているのと比べて、ならではの手法というわけでもないが、そこにはネットの影響力をバカにできないという思惑が透けて見える。二大政党はネットから収集できるデータを解析して対策を練り、選挙の際の支持の拡大につなげようとしている。

     

     あのグロテスクな床屋談義は日本の政治文化の増幅された姿である。反撃してこない対象を情動的に攻撃して盛り上がる。情けなくとも、これが現状だ。

     

     今の日本は社会の組織化が未整備である。こうした状況で政治停滞が生じると、代表する者と代表される者との関係が流動的なので、国家と自分を観念論的に一体化させる風潮が生まれやすい。地域コミュニティの結びつきが強かったり、組合の組織率が高かったりすれば、構成員はそこに帰属意識を持つ。政党も安定した支持基盤となり得るので、それらとの関係を緊密にする。個人と国家との直結は起こりにくい。具体的・個別的な暮らしをよくしたいと願うのに、国家は抽象的・一般的である。

     

     日本では政治参加と言えば、投票行動くらいである。しかも、国政選挙が主で、地方選挙となると、当行率が5割に届かないことも多い。選挙キャンペーンや請願書の署名、ボイコット活動、デモ、結社・団体への参加など選挙以外の政治コミットメントは必ずしも高くない。こうした政治参加の特徴から、政治リテラシーの学習や政治的討議のトレーニングはほとんどなされていないと言える。

     

     また、投票行動だけとすると、政治について話すとしても、相手は家族や友人、知り合い程度に限定され、床屋談義の域を出ない。ある極端な考えが浮かんだとしても、さまざまな背景の人と出会い、自分の意見を言い、相手の話を聞く過程を繰り返すことで、修正されていくものだ。そうしたコミュニケーションの機会を持たないと、認識が深まらない。投票行動はマスコミや口コミの情報、実感などを頼りにしていると推察できる。有権者は政治プレーヤーから侮られることになる。

     

     政治参加は投票行動だけではない。選挙は何年かに一度行われる。これだけが政治参加だとすれば、その間はジャン=ジャック・ルソーが揶揄した通り、政治家に有権者は隷属していることになる。また、制度上の理由から世論調査等で示される民意が必ずしも選挙結果に反映されるわけではない。さらに、与党に投票したものの、政府の政策の優先順位に不満を持つこともあるだろう。結果をただ黙って受け入れるのではなく、選挙後にも政治に働きかける必要がある。選挙だけで民主主義がうまく機能するわけではない。

     

     中には、間接民主主義を捨て、普及したネットを使って直接民主主義に移行すべきだという意見もあるが、これは極論である。ネットは現実を増幅させる。既存の民主主義を補完・拡充して効果的にすることに意義がある。人々のレベル以上のことをネットに期待するのは過大評価だ。民主主義が何であり、その手続きを理解しているが、政治リテラシーや議論のトレーニングがないから、それをうまく利活用できない。日本ではこうした内実の伴わない現象が起きる。日本は世界有数のブロードバンド・ネットワークを持っていながら、その利活用の点ではお寒い状況である。直接民主主義と言っても、そもそもわれわれはそんなに賢くはない。ある状況に置かれると、情動にかられ、冷静な判断を失い、大勢に流されてしまう。

     

     この実情では、インターネットが入ってきても、新しい民主主義構築のツールとはなり得ない。グロテスクな床屋談義を招いたとしても不思議ではない。

     

     その状況に変化が見えたのが311である。死者・行方不明者2万人、避難者10数満人をもたらした未曾有鵜の災害・事故により、市民は「自立・分散・協調」の意識を強くする。被災地の復興は遅々として進まず、フクシマは現在も進行中である。ネットで情報を共有し、デモに参加、請願署名にも加わり、意見聴取会にも足を運ぶ。市民が政治を変える際に、ネットは手助けになっている。

     

     政治参加の意義はそれによって市民と行政、政治家、専門家の信頼関係が強化されるからである。フクシマの情報提供の際の噴出したのが政府や専門家に対する市民の不信感である。どんなに科学的に妥当であっても、信用できない人が言えば、信じることはできない。現代社会には政治家も役人も専門家も必要である。ただ、市民との間の信頼感が十分ではない。直接民主制論議が巻き起こるのもこうした既成政治への不信感が一因だろう。

     

     極論は多様なコミュニケーションのフィードバックによって修正される。政治参加が促進されれば、それぞれのプレーヤーの偏りを対話を通じて補正し、信頼関係が強まり、コンセンサスに到達する。信頼感は実際に対話して初めて築けるものだ。ネットはそのための情報の共有や交流の機会のチャンネルを増やすことができ、参加のハードルを下げられる。そこにネットによる新たな民主主義の可能性がある。インターネットは、改めて言うまでもなく、ネットワークである。

     

     領土問題をめぐってまたグロテスクな床屋談義が伸長したが、ネット上が311以前に回帰してはいない。確かに、政治リテラシーや議論のトレーニングが不十分で、ネットでの政治議論は全般的に粗雑・未熟である。ソーシャル・メディアの登場は政治的意見・感想の表明の敷居を下げている。イッターのつぶやきを統計処理して分析することである時間帯のトレンドを知ることができる。しかし、それは政治に関する認識の質を表わしているわけではない。痩せた政治土壌を少しずつ豊かに育んでいくほかない。

     

     検索すると、若者が主催する各種の政治・経済・社会問題に関する建設的な提案や冷静な情報提供をするサイトを発見する。若い世代がインターネットの理念に立ち返り、その上で新しい民主主義構築のためのツールとして利活用しようとしている。彼らはネットによる政治扇動に対する健康的対抗策も講じている。そんな若者がきっと新たな民主主義のネットワークを拡大していくだろう。今時の若けぇ者は捨てたもんじゃない。

    〈了〉



    かすかな優越感

    • 2012.10.04 Thursday
    • 06:53
     

    かすかな優越感

    Seibun Satow

    Oct, 03. 2012

     

    “Kurosawa should be the first film maker to be given the Nobel Prize”.

    Francis Ford Coppola

     

     ここ何年か10月を迎えると、新聞紙上で村上春樹に関する記事が増える。10月はノーベル文学賞が発表される。世界的に読まれているから、記者たちが村上春樹は受賞するかもしれないと期待しているわけだ。諸外国の文学者から日本は文学ではなく、文学賞の国だと揶揄されることがある。まさにその一端が垣間見られる状況である。

     

     世界的にどれだけ読者を獲得しようとも、村上春樹は文学史から見れば存在が小さい。これは大江健三郎と比較すると分かりやすい。大江は戦後文学の諸問題を作品にとりこみ、そこから多くの批判者や後継者が生まれ、系譜を形成している。村上春樹もその一人である。社会の矛盾に心のうずきを感じながらも、政治や経済にはテクノクラートへのおまかせ意識が強く、保身的である70年代後半の都市住民の産物が村上春樹だと言える。しかし、村上春樹からは、批判的にも含めて、継承する作家が登場していない。

     

     村上春樹は好き嫌いが割れる作家である。好きな人は好きだが、嫌いな人は嫌いで、両者の間で理解が成り立たない。愛読者にその理由を尋ねても、「理屈じゃない」とか「言葉で言い表せない」となどの答えがしばしば返ってくる。自分の認識を相対化できず、言語によって他者に説明できない。これは判断が主観にのみ基づいていることを著わしている。愛読者は、当然、村上春樹への批判に聞く耳を持たない。無視するか、しろうと理論でもっともらしく正当化するかが関の山である。

     

     村上春樹の一文の持つ情報量がスカスカで、内容に比して分量が多く、掛け合いの会話が繰り返される特徴がある。文学ジャンル論で言うと、ロマンスに当たる。これはもう一つの世界を舞台とする。神々の物語である神話とは異なり、近代小説と神話の中間に位置する。歴史小説や冒険小説、ファンタジー、ミステリー、SF、ホラーなどはこのロマンスに属している。作者の描き出す登場人物は現実の人間ではなく、願望の分身、すなわちアバターである。性格よりも個性に関心が向けられ、ロマンス作家は大胆である。作品の傾向は内向的・個人的であり、扱い方は主観的で、願望充足がこめられている。近代以降はアイロニーが基調だ。登場人物は複数の世界を渡り歩ける選ばれた者であり、しばしば英雄的・超人的であるが、精神的な深みに乏しく、作者の操り人形にすぎないことも少なくない。構成は慣習的で、秩序立てられ、安定している。始まりに終わりが提示され、その目的に向かって話が展開される円環構造をしている。すべての要素はそれを実現するために従属している。作者にとって、曖昧なものや無駄なもの、意に沿わないものは除外され、因果関係が叙述される。

     

     村上春樹の奇妙な設定は、その驚きによる読者との意識共有に利用しているだけである。情動への異存は最も安易な表現手法だ。これを形式化してしまえば、作品構造は至って古典的である。そこで前提とされる思想は世間に浸透した通説であるが、専門的にはすでに見直されたり、廃棄されたりしてるものほとん願望を優先させるあまり、思いこみや思いつきだけで書かれている。ただ、ばかばかしいほどの不適切に溢れていても、その願いに共感する読者無批判的に受容する。

     

     村上春樹は無意味の文学に要約できる。社会的・歴史的に共有された価値観の認める意味に対して無意味さをアイロニーによって示す。世界は意味=無意味だけではないが、村上春樹はそう認識している。作品には数字が頻繁に表われるが、それらに意味はない。また、フランツ・カフカやジョージ・オーウェル、『ノルウェイの森』など過去の作家や作品に言及されていても、口実にすぎない。

     

     しかし、村上春樹は無意味だと声高に主張することはしない。控えめでさえある。読者に強い印象を与えよう、あるいは感化させよう、影響を及ぼそう、変化を促そうという傾向は認められない。けれども、他者の感情に応えよう、あるいは言い分を理解しよう、自分の考えを筋道立てて伝えようという努力も見られない。自分の感情にしか興味が実質的にない。好きか嫌いか、受け入れるか受け入れないか、認めるか認めないかが穏やかに語られる。外界に対して中立的でありながらも、批判的で、かすかな優越感が漂っている。自己中心的であるが、対立解決の手立てを持たないため、発達心理学におけるある段階の心理をよく描いているという評価も可能になる。客観性を無意味と排除しながら、自分の主観的判断には非常に細やかで、はまる人ははまる。

     

     価値判断が展開される作品は読者の好悪が極端に割れる。出来事に関する表現と読者の反応は次の四種類に分けられるが、それを使って解説してみよう。もちろん、実際には純粋型としてだけでなく、混合型も見られる。

     

     第一は事実記述である。いつ、どこで、誰がかかわり、何が起きたかという情報の伝達である。描写もこれに含まれる。こうした文章に接した読者は事実を認知する。

     

     第二は原因分析である。出来事に関する原因や因果関係、メカニズムの解明がこれに当たる。読者の反応は理解となる。

     

     第三が背景洞察である。出来事をもたらした背後関係や潜在的構造、今後の展開を探ることだが、行き過ぎると、陰謀論となる。読者は出来事をめぐって発展的な考えを抱くため、その反応は想像である。

     

     第四が価値判断である。それは、出来事について「嫌な光景だ」や「下品な連中だ」、「あんな所には行きたくないな」など感情的な評価を下すことである。こういった文章に対する読者の反応は共感である。

     

     村上春樹の文学は最後の価値判断に覆われている。前者三つでは評価しようがない。村上春樹は、それに比して、出来事の一つ一つに細やかに価値判断をする。ただ、価値判断は外向的と内向的に分類できる。前者は自分の属する社会や共同体のイデオロギーや思想信条等の援用であり、後者は個人的経験・記憶・嗜好などに基づいている。

     

     村上春樹はこの内向的価値判断を控えめに続ける。それは文学者として矛盾に溢れる社会にあって黙々と自らの務めを果たそうと自己犠牲的であるかに見える。作品にも、そういう人物が登場する。ブログをざっと見ても、多くで愛読者の評価も登場人物・集団の価値判断に焦点が当てられる。しかし、実際にはその価値判断は独りよがりでしかない。

     

     『かえるくん、東京を救う』((2000)という短編小説がある。東京の地下に棲む大みみずくんが、阪神・淡路大震災に刺戟されて、地震を起こそうとしているのを知ったかえるくんがヒロイズムによって片桐さんと共に戦い、東京を救うという寓話である。ただし、想像力の戦いという夢の物語であろうと暗示されている。これは非常に評価が高く、内田樹神戸女学院大学名誉教授は村上春樹の最高傑作とまで賞賛している。

     

     しかし、この作品は阪神・淡路大震災のもたらした認識の転換をまったく踏まえていない。こともあろうに、多数の死傷者が出た大震災を口実にしている。かつて人々は「関西にも大きな地震がやってこない」と思いこんでいたが、この地震はそれを覆している。その知識には小説を含めた大衆文化の影響も認められる。そこで描かれた地震は関東・東海地方が中心である。専門家はこうした信念に危機感を覚え、関西地震の可能性を警告するため、1995117日に大阪で日本地震学会を予定している。それはまさに震災当日である。発生後、「もし東京で同じような大地震が起きたら」とワイドショーが放映したら、「また東京かよ」と不満が関西から寄せられている。大震災から人々は日本ではどこでも地震が発生すると認識を改める。ところが、村上春樹は大震災の後にまた東京の地震を扱っている。大震災の社会的な意味がわかっていない。

     

     しかも、大震災を契機に、ボランティア活動が色眼鏡で見られることがなくなり、市民の社会参加・貢献への意識が高まっている。以後、請願の署名や非相乗り候補の選挙キャンペーンへの参加など地方政治の関与から始まり、国政選挙にも関心が広まる。大震災を経験して、市民は70年代後半の意識から脱却し、社会貢献・参加への協同的意欲に目覚めている。想像力はインセンティブによって働く。善悪二元論に囚われず、よりよい社会を協力してつくっていこうという協同性を実践している。大震災による市民の意識の変化を村上春樹は見ていない。

     

     この二つの認識転換は被災者以外も覚えたことである。『かえるくん』を書く方も書く方だが褒める方も褒める方だ。

     

     同時代的文学には、生き難さや重苦しさ、騒々しさといった時代の漠とした気分を作品に内的経験としてとり入れることが欠かせない。けれども、今を生きているのだから書けばそれが具現できるというものでもない。時代を口実にしたにすぎない。日本は、「中流社会」や「格差社会」などが示しているように、生活意識が社会意識としてそのまま把握され、そこから課題されるべき政治的・経済的課題が見出される。他方、民族や宗教、階級などで分化がある社会では、マレーシアのプミプトラ政策が物語る通り、この流れが成り立たない。日本においては、気分をとりこむには、社会変動の過程で共有経験される意識変化を表現として構成させる必要がある。

     

     もっとも、社会性に立脚した批判は村上春樹ならびにその愛読者にとってはのれんに腕押しといったところだろう。彼らは従前の価値観への違和感を共有しているため、それらに依拠していては、判断が覆るわけではない。ポストモダン状況は文学に何でもありの意識をもたらす。とは言うものの、何らかの共感を得なければ、その作品は消え去る。文学表現はコミュニティづくりと化す。村上春樹はこの状況において最も成功した作家の一人である。

     

     新しい表現もなく、知的に幼稚で、プロファイリングも甘くて、恣意性に満ち、下準備も不十分、社会性も乏しい。読者の持つ文学上の意識は村上春樹のこうした欠陥も保留にする。多少の差はあっても、概して現実と作品世界が遠い。凡人小事の近代小説では、現実と作品世界をいかに近づけるかに作家は格闘する。真の主役は近代社会自体であり、それに向き合い、変化しつつある意識を抽出することで新たな表現が生まれる。現代小説では、相対化の著しい現代社会が真の主役であり、方法論を開発せざるを得ない。それは、懐かしいものほど新しいという逆説から、文学を別次元に置き、現実に距離をとることも正当化する。こうした作品は読者の間で形成されてきた文学上の意識に依拠する。それに対するアイロニーを入れれば、活字好きほど驚き、飛びつく。考えていると自認する人はアイロニーにはまりやすいものだ。けれども、自身の認識を相対化すれば気づくことだが、現実作品と世界をめぐる新たな読者の意識を創出するわけではない。

     

     こうした態度は既存の価値観に従属していないが、アイロニーである限り、依存している。従前の価値観に対する衝突・修正・克服は、葛藤・消耗・挫折と無縁ではいられない。一方、無意味の主観的判断は、かすかな優越感を保ち、決して傷つくことがない。社会の激変の中で煩わしさに悩む読者にはありがたい。読者もかすかな優越感に浸ることができる。そのため、村上春樹の共同体はこれからも世界的に拡大していくだろう。

     

     人々は311を経験し、社会的・歴史的に共有されてきた物語が欠かせないものだったと気づいている。与えられた価値判断に依存するのでも、誰かの主観的価値判断に染まるのでもなく、従来を踏まえつつも新たな価値協創がこれからの社会の建設につながると意識共有している。かすかな優越感から新しい社会は生まれない。文学も同様である。だからこそ、村上春樹に対する批判者の姿勢が厳しくなる。

    〈了〉

    参照文献

    内田樹、『村上春樹にご用心』、アルテスパブリッシング、2007


    家・職・協

    • 2012.09.30 Sunday
    • 19:43
     

    家・職・協

    Seibun Satow

    Sep, 29. 2012

     

    「衆力功あり」。

     

     金曜の夜の官邸デモが始まってから、2012928日で半年を迎える。日本において、「世界価値観調査(World Values Survey)」の上でも、政治参加は投票が主で、他の先進国と比較して他はあまり高くないのが従来の姿である。それとは明らかに違う光景が継続的に現われたことになる。次回の結果が楽しみだ。

     

     これまでは、デモが行われても、組織動員が大半である。しかも、後発国であるため、市民社会の組織も利益団体がほとんどだ。経済団体や産業協同組合、労働組合など産業と結びついている組織が多く、その政治参加も営利目的である。

     

     しかし、フクシマが起きて以降、市民は請願の署名や脱原発デモを自発的にお展開している。それは家と職に加えて協という第三の世界を持ち始めたことを著わしている。

     

     日本の前近代社会では、全般的に仕事が家業であるため、家庭と職場がほぼ一致している。人にとって社会は一つである。身分や職能が親族間で伝承されるので、相続社会と呼ぶことができよう。また、共同体内のつながりが強く、幅広い年齢層間のコミュニケーションが基調で、若者は年寄から知恵を学ぶ。極端な思考は、この過程でバランスが整えられるため、消失する。反面、しばしば規範への従属が強いられる。

     

     近代社会に突入すると、賃労働が浸透してくる。生活と労働の場が分離し、人にとっての世界は二つになる。これが産業社会の特徴である。また、生活と生産の場が別であるから、交友関係を選べる。年齢や嗜好、思想信条、相性など似通った人間が集まり、同質的な関係でコミュニケーションをする機会が増え、年齢に関係なく、偏った考えが増幅される傾向がある。極右思想は伝統を根拠にするが、相続社会では極論が修正されるのであって、実際には産業社会の産物である。

     

     世界が二つに増えると、両者の調整が要る。職場は個々人の都合を配慮して融通するのが難しいので、家庭が専らそれを負う。家族はさまざまな調整を続けることで、初めて維持可能である。性別役割分業はそうした事情から正当化される。世界の増加につれその調整がさらに難しくなるので、家族の機能が高度化する。時代と共に家族内のつながりが希薄化したというのは見当違いである。

     

     また、政府の調整の役割も大きくなる。相続社会は貨幣経済と切り離された部分も少なくなく、自給自足傾向がある。事実上失業問題が存在せず、政府の機能は小さい。しかし、前近代が必要としなかったように、近代工業製品は人間にとって生活必需品ではない。産業社会においては供給過剰に伴う景気変動が発生し、失業が生じる。政府のマクロ政策が求められるようになる。

     

     こうした世界観が変わったのは1995年の阪神・淡路大震災からである。これを契機に、ボランティア活動が色眼鏡で見られることがなくなり、市民の社会参加・貢献への意識が高まる。請願の署名や非相乗り候補の選挙キャンペーンへの参加など地方政治の関与から始まり、国政選挙にも関心が広まる。ワイドショーも政治が視聴率の稼げるコンテンツとして取り上げる。そうした積極的な取り組みはインターネットの定着によって増幅し、各種のSNSの浸透がそれを爆発的に促進させる。このような状況下で、311が発生する。

     

     現代社会では。人にとって世界は三つである。家・職に協の場が加わる。それは社会参加や社会貢献であり、新たな公共性・公益性の形成の力が働いている。この協はイデオロギーから生まれたわけではない。むしろ、生命をめぐる不安からである。自然災害や原発事故は生命を脅かす。こういう問題に対処するには家や職だけでは不十分で、それを超えたネットワークが必要である。協は切実な希求から市民の元に現われている。

     

     三つに増えたことにより、調整を協の世界も担うことになる。家庭だけが負う必要はない。また、政府だけに押しつけるのではなく、公共財に関して市民も協力する。企業などの経済活動、すなわち私的活動では進化には競争が欠かせない。一方、公共財においては、協力によってそれが可能になる。公共財は産業社会では難しい問題と考えられてきたが、協働社会においては解消される。

     

     ただ、世界の増加は思考の偏りを助長する場合もある。極論は多様なコミュニケーションによって修正される。これを生かしたのが熟議の民主主義である。協にもこの可能性がある。しかし、ネットは、選択の自由が大幅に認められているので、より自分の歪んだ信念を強化する出会いを可能にする。極論に凝り固まり、閉鎖的なグループが無数に点在し、相互に不干渉、あるいは誹謗中傷を繰り返すようになる。バランスよく修正される機会が乏しいので、非常に流動的で不安定な状態である。これが「サイバー・カスケード」と呼ばれる現象である。

     

     従前の社会でも余暇や趣味、娯楽を楽しみ、それを通じて家庭とも職場とも違うコミュニティを形成する場合がある。けれども、公共性・公益性への寄与を目的にしているわけではない。

     

     市民が三つの世界を持っているのに、政治は対応する気がないように見える。それはこれからの公共性・公益性をどうするのかまったくヴィジョンを駆逐していないことを露わにしている。あまりに機動性と戦略性に乏しい。おそらく協が生命活動の求めた世界だということがわかっていない。

     

     2009年の政権交代の際、新政権は新しい公共性の構築を政治課題の一つに掲げている。三つの世界論を政治に組み入れようとしている。しかし、松下政経塾内閣が発足すると、この姿勢は後退する。ところが、自民党に至っては、総裁選がよく示していたように、市民の新しい動向に無関心で、産業社会の認識にとどまっている。信じがたいアナクロニズムだ。彼らの生きている時代はいまだに昭和である。

     

     また、利益団体の姿勢も相変わらずだ。原発ゼロ社会への反論が業界団体や経済団体等から寄せられているが、それは産業社会の認識に基づいている。原発を推進しなければ、家と職が苦しくなるという主張だ。その妥当性以前に、生命への不安が脱原発運動の動機なのにもかかわらず、協がすっぽりと抜け落ちている。

     

     協の重要性は社会に認知されつつある。企業もCSRを謳い、大学も社会貢献を口にしている。けれども、実践はおろか、それが何であるか把握しきれていないのが実情だろう。官も報もどうかと問われて、自信を持って答えられるかは疑問だ。この点に関しては、市民の方がはるかに先進的である。政官財学報は市民に協力し、そこから学べる。

    〈了〉

    参照文献

    World Values Survey

    http://www.worldvaluessurvey.org/


    領土問題

    • 2012.09.20 Thursday
    • 23:11
     

    領土問題

    Seibun Satow

    Sep, 20. 2012

     

    「ただそれほど大切でないことは誤解されることを用心しなければならない。もしそういう誤解が生じてそれを解かなければならないとしたら、その仕事はなにしろ馬鹿馬鹿しいに違いないから」。

    中野重治『素僕ということ』

     

     傍から見れば不思議でならないだろう。世界有数の経済大国同士が、しかも相互依存を通り越して相互浸透しているとまで言える両国があんな小さい島々の領有をめぐって争っている。領土が国力の重要な要素と信じられた時代はすでに過ぎ去っている。

     

     戦前、スコットランド啓蒙から影響された石橋湛山は植民地の全面放棄を提唱している国力は領土や軍備といった軍事力へ翻訳できるものではなく、技術力や人材、互恵関係などである。当時はあまり顧みられなかったが、戦後の日本はまさにこの「少日本主義」で国力を拡充している。

     

     尖閣諸島に関して日本の週刊誌やワイドショーなどでは「一触即発」といった表現が踊っている。他方、中国のSNS上でも好戦的な意見が飛び交っている。しかし、あんな岩だらけの島の領有をめぐって日中の経済関係を断絶し、両国の若者の命を失うのに値するとは思えない。資源が得られるとしても、代償には釣り合わない。

     

     尖閣諸島をめぐる戦闘シミュレーションを日本の保守派のメディアで紹介されているが、真に滑稽だ。戦争の勝敗が軍事的ではなく、政治的に決まるものだということをまったく理解していない。

     

     しばしば領土問題は生物の縄張り争いのアナロジーで語られるが、これは不適切である。種によって自己あるいは自分の遺伝子を保存するために必要とされるテリトリーが決まっている。この合理的判断を超えてまで争うことはしない。無駄な行動は死を招く。

     

     国家間の領土問題は合理性を欠いていることが少なくない。争いは当該国の周辺に位置し、資源が絡む場合もあるが、大局的にはそれに見合うわけではない。あるきっかけでそうした争いが生じ、次第に対立が両国にとって象徴化し、今さら引くに引けないと自己目的化する。こういう過程をたどることが多い。家の境界線をめぐるもめごとと似ている。

     

     実際、重要な地域であれば、その領有権争奪は当該国にとどまらない、国際社会が調停に乗り出す。典型がスエズ運河である。1956年、エジプトがスエズ国有化を発表すると、英仏イスラエルとの間で戦争が勃発する。そこに米ソが介入し、エジプトを擁護、問題を決着させている。

     

     世界で最も危うい領土問題はカシミールの帰属だろう。それをめぐって印パ両国がお互いを仮想敵国と見なし、核兵器で対峙している。人類絶滅の引き金ともなりかねない米ソの冷戦と違い、両国の保有する核兵器の量が少ないため、いわゆる抑止論が働きにくく、使用されるハードルが低い。

     

     しかも、南アジアでインドは大半の統計で突出した値を示す。インドに対して他国は一割程度の規模でしかない。これだけの差があるため、逆に、政府がインドに妥協的な姿勢をとると、弱腰と国内から突き上げられる。インドは、それゆえ、つねに周辺国から脅かされているという意識を抱いている。インドと周辺国との貿易総額は対日のそれより少ないというのが実情である。諸国間の経済の相互依存も進んでいない。

     

     1947年、英領インドから印パが分離独立する際、カシミール藩王国の帰属が問題化する。マハラジャがヒンドゥー教徒であるが、住民はイスラム教徒が多い。しかし、カシミールは地下資源に恵まれているとか交通の要所であるとかいった国益に直結するような地域ではない。印パの建国の理念に関わってくるために帰属が争われている。

     

     パキスタンはイスラム教徒の国を国民統合の理念として建国する。カシミールはイスラム教徒が多いのだから、それに基づいて、パキスタン領とならなければならない。一方、インドは世俗主義を掲げて独立する。政教分離であるのに、イスラム教徒が住民の大半だからと言って、放棄するのは理に合わない。

     

     特に、パキスタンがカシミールの領有に固執するようになったのは、1971年のバングラデシュ独立戦争以降である。イスラム教徒の国を国家イデオロギーとしていたのに、その一部がベンガル人の国を国民統合として分離独立してしまう。パキスタンの建国の理念が事実上崩れる。

     

     インドにしても、ヒンドゥー主義の人民党が国政を担当する機会も生まれている。世俗主義が維持されてはいるが、揺らいでいることも確かである。インドもカシミール領有の根拠がかつてより弱まっている。

     

     そうしている間に、カシミール問題を口実に武装勢力が成長する。対立の長期化はそれを自己目的化した集団を生み出す。彼らには、両国が和解して解決されては困る。

     

     カシミールの帰属の主張は、印パ両国共に建国当時の理念に基づく根拠が弱まっている。その反面、対立は核兵器で対峙するなどエスカレートしている。ここに領土問題の本質が見える。

     

     さもない地域だからこそ、領有権や国境線の争奪が激化すると考えるべきだろう。大したことがないほど、根拠が怪しいほど、それをめぐる争いから客観的意義が失われ、主観的な感情が反映する。双方いずれにおいても、その帰属を問題にすることによって、われわれの同一性と彼らとの差異性を認知できる。領有の裏づけが自分の主観性にしかない。これに反対するのは彼らであり、理解できないのは他人だ。主観的であるからこそ、その意識の共有が排他的一体感となり得て、感情の共同体が形成される。衝突が感情的であれば、それはこじれ、かつ激しくなる。

     

     今日の領土問題は主観的である。だから、かえって、解決が難しい。

    〈了〉

    参照文献

    『ちくま日本文学全集39 中野重治』、筑摩書房、1992


    中国のデモ

    • 2012.09.17 Monday
    • 22:22

    中国のデモ

    Seibun Satow

    Sep, 15. 2012

     

    「革命尚未成功」。

    孫文

     

     中国のデモには、他で見られない特徴がある。それは、「愛国無罪」や「造反有理」など民衆が自分たちの行動を正当化するスローガンを掲げる点である。

     

     通常のデモでは、「アメリカに死を!」や「大飯原発再稼働反対!」のように、主張だけが押し出され、いちいち自らを正当化しない。独裁体制にあっても、ナショナリズムに先導されたデモが起きることがあるが、そこでも同様である。

     

     デモにおいてメタスローガンが示されるのは、おそらく、中国の支配構造に由来している。中国共産党は人民の意思を代行して統治しているのが建前であるが、実際には、官僚と知識人が民衆を指導している。実は、この構図は皇帝時代も同じである。中国は伝統的に官僚と知識人が民衆を支配している。

     

     この支配構造は、皇帝時代には、以下のように正当化されている。皇帝が支配者であるのは徳があるからである。皇帝は世界の中心に位置する。この徳を慕って周辺地域から使者が貢物を持ってやって来る。皇帝はその礼に対して褒美とその地域を支配する権利を与える。これが朝貢貿易と冊封体制に基づく華夷秩序である。

     

     有徳者である皇帝を批判することは絶対に許されない。徳があるので、忠告に耳を傾けることもあるが、それは義務ではない。皇帝への批判は徳に背くことであるから、徹底的に糾弾されなければならない。反対意見も尊重して、自分の考えを主張する民主主義的発想は皆無である。官僚や知識人にはその皇帝の意思を理解し、補佐する役割がある。

     

     皇帝自らが批判に対して答えた稀有な例もある。明清交代により、中国は華夷思想において「夷」とされる満州族に支配される。1728年、華夷思想に立脚して反清イデオロギーを広め、四川総督に王朝打倒をそそのかした容疑で曾静が逮捕された。通常、こうした行為には凌遅刑による死刑が適用される。ところが、雍正帝は彼を生かすことにし、その代わりに、取調中に清朝支配が儒教道徳上正統的であると自己批判していくやり取りを『大義覚迷録』として公にする。

     

     徳のある者のみが天に従うことができるのであって、天が味方する際に、その出身地   によって区別することがあり得ようか。わが清朝は東の地方から興り、優れた君主が相次ぎ、天下を安んじ、天の恵みを受け、徳を広め恩を与え、民に安定した生活をさせ、内外の人々に慕われること、すでに百年にもなる。()漢・唐・宋などの王朝は全盛時代にあっても、北狄や西戎の侵入に苦しめられ、その土地を服従させることができなかったために、華夷の区分を建てざるを得なかったのだ。わが王朝が中国の主人となってからは、天下に君臨し、モンゴルの辺鄙な諸部族に至るまでわが領土に入っている。これは中国の領域が広大になったということで、中国臣民の幸いであるのに、どうして華夷・内外の区分を論ずることがあろうか。

     逆書(曾静(反女真的な人 ベティ注)が心を批判した書)では、夷狄は人類と異なるといって禽獣であるかのように罵っている。そもそも人と禽獣との違いは心に仁義があるかどうかということだ。山中の野蛮人で、道徳も礼儀も知らないというなら禽獣と同じかもしれないが、今日のモンゴル四十八旗、ハルハなどを見るなら、君主を尊び目上を敬い、盗賊は起こらず、殺人事件も稀で、詐欺や盗みの習慣はなく、穏やかでなごやかな風俗がある。これをどうして禽獣といえようか。種族的な意味では満州族は確かに「夷」であり、わが王朝は夷狄の名を避けようとは思わない。孟子は、古の聖王である舜も「東夷の人」であり、周の文王も「西夷の人」だと言っているではないか。ここで夷といっているのは出身地のことで、現在の本籍のようなものにすぎないのだ。

    (『大義覚迷録』)

     

     このような理路整然とした皇帝の徳によって、反清イデオローグが自らの過ちを認め覚醒していく。

     

     王朝交代の際、実は、明の遺臣の一部は清に仕えることを拒否して抵抗、もしくは亡命している。その一人である朱舜水は日本に逃れる。彼は、夷狄によって支配された中国ではなく、日本こそが中華であると主張し、水戸光圀を通じて水戸学に影響を与える。その後、山鹿素行も『中朝事実』の中で同様の意見を述べている。しかし、『大義覚迷録』の論理的精度と比較すると、こうした日本中朝主義は粗雑な自惚れでしかない。

     

     皇帝から共産党へと統治者が代わっても、支配構造はあまり変化していない。孫文の革命運動にとっても人民の政治参加は大きな課題である。それには言論のルールを理解していなければならない。しかし、革命を経ても、官僚と知識人が民衆を指導する構造は本質的に存続する。

     

     この支配構造に本格的に挑戦したのが文化大革命である。文革の開始にはさまざまな背景がある。官僚や知識人が情的にされたのは、支配構造に起因している。人民は有徳者に反対して自分の意見を主張するのだから、その行為を正当化しなければならない。しかし、もしそれさえできれば、何をしても許されることになる。これまで官僚と知識人が人民にした仕打ちを思い知らせてやらねばならない。

     

     終了後でも、中国で起こる民衆デモは、文革の姿がちらつく。それだけに、官僚と知識人はその再来を恐れている。

     

     通常のデモではスローガンは主張である。行動は主張のための手段である。主張が正しいかどうかだけで十分である。と同時に、行動によってはその主張が世論から見放される場合もある。デモの参加者数や規模は当局の見方と必ずしも連動しない。

     

     一方、中国のデモにおいてスローガンは行動の正当化である。そこでは行動自体が目的である。行動は歯止めを失い、エスカレートする危険性がある。当局が自分たちの行動をどう認識しているかに反応して、参加者数や規模が伸縮する。

     

     民主主義において、反対意見でも相手を尊重した上で、自分の考えを述べて、議論することが当然とされている。そのため、意見表明自体を正当化する必要はない。こうした言論のルールが中国には、残念ながら、まだ根づいていない。

     

     もちろん、外の世界に人民も容易に触れることができるようになり、認識も変わりつつある。中国に民主主義が定着した時、デモからメタスローガンは消えるだろう。それは中国史上最大級の革命になる。

    〈了〉

    参照文献

    岸本美緒、『中国社会の歴史的展開』、放送大学教育振興会、2007


    インディラVSシンジケート

    • 2012.09.17 Monday
    • 08:17

    インディラVSシンジケート

    Seibun Satow

    Sep, 14. 2012

     

    「愛は平和ではない 愛は戦いである 武器の代わりが誠実であるだけで それは地上における 最も激しい 厳しい 自らを捨ててかからねばならない戦いである─ わが子よ このことを覚えておきなさい」。

    ジャワハルラール・ネルー

     

     今回の自民党総裁選挙には長老の影がちらつく。しかも、それは世論の印象が悪く、先祖返りの様相がある。

     

     伝統社会では、変化がゆっくりして、暮らしと稼ぎの場が一体化しているので、長生きは知恵の蓄積と同じである。長老は共同体のためにその経験を活かすものだ。ところが、近代社会は変化が速く、賃金労働が支配的なため、生活と労働の場が分離している。長老の経験も必ずしも役に立たないどころか、非常識でさえある。保身のために、時代の流れを逆行させようとする老害でしかない場合も少なくない。

     

     政治家になると、その仕事に長期に携わることが多い。政界には精通してくるが、それと関連する国内外の環境の変化にその経験で必ずしも対応できるものではない。残念ながら、バランス感覚に優れた食えないタヌキはなかなかいない。日本以外でも政界の新陳代謝は課題である。

     

     その最も苛烈な例の一つがインドのインディラ・ガンディーのケースである。彼女は、5年間に亘る長老との権力闘争の末、勝利を収めている。しかし、それは成功談としてよりも、真似すべきではない多くの教訓を含んでいる。

     

     インドは連邦制ながら、相対的に中央集権制が強い。しかし、独立運動の中核で、現在に至るまで国政の大半の時期を担ってきたインド国民会議派は、本来、分権的な組織である。これにはマハトマ・ガンディーの方針が影響している。独立を達成するには、運動のすそ野を広げる必要があり、それには参加要件を緩和するべきだ。会議派内での英語以外の言語の使用を認めたり、幹部人事を党内選挙にしたりしている。それによって、会議派の勢力は拡大した反面、自立した地方権力が育つことにつながっている。

     

     地方の地主は会議派の重要な支持層であり、彼らの利益を代弁する政治家を「シンジケート」と呼ぶ。会議派はコンセンサス政党であり、内部に多くの派閥を抱え、その競争が組織全体のダイナミズムを生み出している。シンジケートは会議派右派に属し、独立後、ジャワハルラール・ネルーに代表される会議派左派との間でしばしば経済政策をめぐって権力闘争を繰り広げている。

     

     ネルーは、農業政策として、農地改革による生産量の向上を考えている。土地を再配分すれば、新たな自作農たちには働いた分だけ自分の稼ぎになるインセンティブがあるから、これまでよりも生産量が増えるだろう。この政策は補助金を支出する必要がないので、政府の財政を圧迫しない。

     

     ところが、地主たちは頑強に農地改革に抵抗する。法案はシンジケートによっていつも骨抜きにされ、一向に再配分は進まない。しかも、生産量を増やすためにと補助金の支出が相次ぎ、財政を苦しくする。

     

     1964年にネルー首相が心臓麻痺で急死する。シンジケートは談合して、ラール・バハードゥル・シャーストリーをその後任に推す。ところが、同首相も66年に在職中に亡くなってしまう。シンジケートは急遽後継者を選ばなければならなくなる。白羽の矢が立てられたのがネルーの娘インディラ・ガンディーである。

     

     世間は48歳の女性首相を党内の長老の操り人形と見ている。組閣もシンジケートが実質決めている。とは言うものの、インディラはネルーの娘であり、父の左派路線を引き継ぐと目されている。けれども、大きな政治的危機がそれを許さない。

     

     当時、インドは全国民の65%が貧困に陥ったほどの大飢饉に見舞われ、世界銀行に支援を要請する。しかし、それにはルピーの切り下げや規制緩和、緑の革命の導入など自由化政策の採用が条件とされている。就任したばかりのインディラはその受け入れを決断する。

     

     この政策転換は党内左派からの激しい反発のみならず、世論の不評も買う。迎えた67年の総選挙で、会議派は国政では何とか過半数を維持したものの、地方では主要15州のうち8州で政権を失うという大敗に終わる。シンジケートも多数落選している。新政権は、この選挙結果を受けて、経済路線を再び左傾化させる。

     

     しかし、この転換はアメリカとの関係を悪くする。ジョン・F・ケネディ大統領は、相談役のジョン・K・ガルブレイスを駐印大使に任命するなどインドに友好的だったが、後任のリンドン・ジョンソン大統領は距離をとる。米国が印パ関係の悪化を理由に米国が援助を打ち切ると、その影響下にある世銀も支援額を減らす。そこで、インディラはソ連に接近していく。

     

     67年選挙の結果はインディラ自身には好機に映る。彼女はことあるごとに何かとうるさい長老連中を一掃することを決意する。手始めに、シンジケートを無視して、組閣を自前で行う。以後、インディラとシンジケートの関係は日増しに険悪化していく。シンジケートにすれば、インディラは知名度はあっても政治力が弱いから傀儡にできると思っていたのだが、政治勘のいい彼女はその誰よりも上手だということが明らかになる。

     

     党の役職を選ぶ選挙を停止し、自らの任命制に変更する。また、中央の言うことを聞かない自立的な地方権力者が育たないために、州首相に政治力の弱い人物を意図的に配置している。会議派ではインディラへの忠誠心こそが何よりも決定力を持つようになる。

     

     けれども、インディラのリーダーシップは、中長期的に見ると、その望み通りと言うよりは、地方での会議派自体の影響力の衰退を招いている。

     

     組織では、金もさることながら、人事権を握った者が強い。シンジケートが談合で人事を決めていたのに対し、インディラはトップ・リーダーが人事権を握るように制度変更している。しかし、いずれも極端で、人事のより開かれた民主的手続きへと構築し直すことが望ましいはずである。

     

     会議派州政権に政治力の弱い指導者が就いたせいで、逆に権力闘争が激化している。どんぐりの背比べのような政治家たちが、「あいつが首相になれるなら、俺だっていいはずだ」とばかりに、ポストをめぐる激しい合戦を展開する。調停者としてのインディラの党内基盤は強化されるものの、激烈な抗争により州政府の統治能力が低下している。

     

     また、中央政府は大統領直轄統治を利用して非会議派政権を頻繁に解任させる。これにより地域主義を潰し、中央集権制の強化を図り、10年ほどは成功する。しかし、80年代に入ると、それへの反発が高まり、地域主義に基づく地方政党が登場、州の会議派政権のみならず、中央の会議派支配まで脅かすようになる。

     

     日本の政界では、実力者が権力基盤を強化するために、しばしば「神輿は軽い方がいい」と政治力の弱い指導者を祭り上げたり、イエスマンを要職に配置したりすることがある。しかっし、それは中長期的には組織の弱体化を招く。政治力の弱い人物をリーダーにしたり、要職に就けたりすることは組織の秩序を不安定化させる。人事のアナーキーさは統治能力の弱体化につながり、そこにつけこむ小物の権力闘争が激化して事態は悪循環に陥る。

     

     近年、民主党の代表にしろ、自民党の総裁にしろ、選挙をすると、候補者が乱立し、しかも粒が小さい。ポストにはそれにふさわしい政治力の人物を配置してこなかったからである。安倍晋三や野田佳彦などのような小物を首相にすることが最近の政界の混乱の一つの原因でもある。小粒が乱立するようなトップ選びの政党は統治能力が弱いと吐露しているのであり、政権を担当させるのは危険である。

     

     インディラとシンジケートの関係はもはや修復不可能なまでに悪化する。その頂点に達するのが1969年である。この年行われる大統領選挙の候補者としてシンジケートはニーラム・サンジーヴァ・レッディを擁立、それに対し、インディラもヴァラーハギリ・ヴェーンカタ・ギリを対抗馬に担ぎ出す。彼女は自分が進めた67年の自由化路線を捨て、銀行国有化を発表して左派の協力をとりつけ、抗争は党内左右の派閥対立に発展する。同年末、両派は決別し、会議派大分裂に至る。その結果、インディラ政権は議席の過半数を失い、少数与党へと転落する。

     

     このままでは政権運営がままならない。理念が違うので、数合わせのために他党を与党に引き入れることもできない。けれども、総選挙で事態を打開しようにも、右派が去ったために、地方の地主の協力が得られず、集票力が大幅に低下している。八方塞だ。

     

     しかし、インディラは、71年、1年前倒しして総選挙に打って出る。そのスローガンは「貧困追放」である。

     

     インドには膨大な貧困層の有権者がいる。地方組織に頼らなくても、そうした人々に直接訴えれば選挙に勝てる。インディラは大キャンペーンを張り、かつてない規模の遊説を展開する。その際、インディラは、シンジケートを保守反動の抵抗勢力と糾弾し、インド人民を救えるのは自分だけだと熱弁をふるう。この真にわかりやすい二項対立が功を奏し、インディラ派は圧勝する。

     

     コンセンサスの政治を打破するため、二項対立の図式をつくって仮想敵を攻撃し、有権者に直接訴えて広範囲に支持を獲得、権力基盤を強化してトップダウン政治を実現する。こうしたインディラの手法は、その後、多くの政治家が採り入れている。マーガレット・サッチャーや小泉純一郎などはそういった例である。

     

     総選挙後、インディラ政権は社会主義的色彩の濃い政策を実施する。ただ、輸入代替の限界が綺羅化になり、途上国政府が輸出志向へと政策転換していく中で、統制下を勧めては工業部門の失敗は目に見えている。しかし、農業部門では、農地改革の実施や緑の革命の導入のため、70年代後半に食糧自給がほぼ達成される。

     

     インディラ政権は概して強権的で、民主的制度を一時期停止したことさえある。77年の総選挙では敗北し、初めて会議派を下野さてしまう。80年の総選挙で、対抗勢力が分裂したおかげで、政権に返り咲く。インディラが最初に首相に就任して以来、インド政界の主要な対立は「親インディラか、反インディラか」というものである。

     

     奇妙な偶然であるが、今度もインディラが最初に直面したのは国際機関への経済支援である。国際収支の赤字によりIMFに融資を要請し、その条件である自由化を呑む。ただ、前回の経験を踏まえ、その速度を漸進的にする。彼女も成長している。

     

     しかし、変わらぬ点もある。80年代に入ると、地域主義が勃興する。中には過激な主張や手段に訴える勢力も登場する。インディラはこうした動きに強硬策をとる。846月、シク教徒の分離主義運動をインド軍が軍事的に制圧し、シク教の整地黄金寺院もその攻撃で破壊される。彼女への反発は彼らの間で強まる。19841031日、インディラ・ガンディーはシク教徒の警護警察官によって暗殺される。

     

     8411月のある日、東京に住む佐藤清文という18歳の少年に父親からの手紙が届く。達筆な母と違い、筆まめでもない父がどうしたんだろうと封を開けると、白い便箋数枚に亘ってその年インドで起きた一連の出来事への憤りが記されている。

     

     あのようなことは法治国家であってはならない。昔は徳治主義の社会だ。有徳者が治めているのだから批判はけしからん。反対意見へも攻撃的になる。一方、法治主義はルールを守ってするなら、権力者への批判もできる。相手の意見を尊重しながら、自分も主張するものだ。暴力は新たな暴力を生み出す。力に頼る解決は見せかけでしかない。事態をかえって複雑にしてしまう。本当に政治に必要なのは知恵と粘り強さだ。─そんなことが筆圧の強い、小さくまとまった字でつづられている。

     

     この一通を除いて、佐藤清文が父から手紙を受け取ったことはない。彼は今もその言葉を肝に銘じている

    〈了〉

    参照文献

    堀本武功他、『現代南アジアの政治』、放送大学教育振興会、2012

     


    愛国の嵐

    • 2012.08.23 Thursday
    • 06:06
     

    愛国と社会の組織化

    Seibun Satow

    Aug, 21. 2012

     

    「彼らは自らを代表することができず、代表されなければならない」。

    カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』

     

     19世紀後半、西欧で愛国の嵐が吹き荒れる。政治参加の拡大に伴い、既成政党が新選挙民をとりこもうと試みる。しかし、彼らは従来の支援者と利害対立している。一例を挙げると、資本家階級と労働者階級は階級闘争している。そこで、政党のリーダーは国外に仮想敵を想定し、国民の愛国心を煽り立てる。「われわれは脅威にさらされている。いがみ合っている場合ではない。一致団結してあいつらを追い払わねばならない」。好都合にも、外国人は有権者ではないので、いくら攻撃しても対立勢力に投票することもない。

     

     この手法は市民社会の組織化がまだ十分ではない状況で効果を発揮する。いくら政治家が愛国を訴えても、国民にそれを受けとめる環境がなければ、相手にされない。政治における代表する者と代表される者との関係が浮動しているので、政治家も国民も国家との結びつきを強める。例えば、労働組合が整備され、それを支持母体とする政党が登場して、議会選挙に臨む態勢が確立していれば、労働者階級は意思反映を国家に直結することはしない。しかし、そうした状態がないなら、本来利害が衝突するはずの保守主義者が愛国心に訴えて労働者層の支持をとりつけることもできる。英国のベンジャミン・ディズレーリはまさにこの手法、すなわち「ジンゴイズム(Jingoism)」で低所得者層から圧倒的な支持を獲得している。

     

     西欧各国でこうした愛国政治や軍事化が展開されたが、それは外交を危うい状態にしてしまう。19世紀の欧州では力の均衡が外交理論として共有されている。同盟を柔軟に組み替えて各国の力の均衡を維持し、欧州全体を巻きこむような大戦争を防ぐ。それを保つためには、小さな戦争も外交手段に含まれる。この共通理解の下で各国が外交を繰り広げ、ナポレオン戦争以来、欧州では大規模戦争が起きていない。ところが、このルールが19世紀末に崩れる。

     

     外国を仮想敵にして民意の支持を得て権力を掌握したので、政権は対外強硬姿勢をとり続けなければならない。ちょっとでも妥協すれば、弱腰と世論から糾弾される。そのため、各国政府はさして重要でもない外交課題でさえ引くに引けなくなり、挙げ句、力の均衡と関係のない戦争にまで至ってしまう。領土や権益は国際関係の問題であるけれども、相互の社会の対立に発展する。欧州全体を巻きこむ第一次世界大戦はこうした背景の下で起きている。

     

     現在、日中韓の間で領土問題をめぐり愛国が熱くなっている。それぞれ事情は異なる。竹島については李明博韓国大統領の挑発行為、尖閣諸島をめぐっては中国の反体制派による魚釣島への上陸が今回の直接的な発端である。前者がジンゴイズムであるのに対し、後者は中国当局が世論の沈静化を図っている。

     

     とは言え、この状況を考える際、かつての西欧の歴史の教訓から、三国共に市民の組織化が不十分だという点を見逃してはならない。いずれも組織化の経験に乏しく、社会変動に見舞われ、国内政治における代表する者と代表される者との関係が浮遊している。社会集団と政党とのつながりが希薄化し、政党も国民も国家との結びつきを強める動きがすでに起きている。

     

     中国共産党は、従来、前衛的労働者階級を代表し、富農を除く農民階級を同盟者として、資本家階級に敵対する階級政党である。しかし、三つの代表論を経て、2002年、綱領を変更し、労働者階級の前衛であると同時に、中国人民と中華民族の前衛であると包括政党へ転換している。

     

     マルクス主義からナショナリズムへのイデオロギーの変更は社会変動に合わせているが、当時の江沢民国家主席は人民に愛国を訴えている。代表する者と代表される者の関係が浮動したため、国家によって人民と共産党の一体感を獲得しようとしている。前段の三つの代表論ですでに具体的イメージに乏しく、ジョークのネタになっていたほどだ。新綱領は代表する者と代表される者との関係の曖昧さを物語っているのであって、共産党が中国社会とのつながりを見失いつつあることを示している。加えて、毛沢東時代の政治動員の経験はあっても、今日に至るまで市民社会の組織化は無に等しい。

     

     中国当局としては、デモを管理した上で行わせ、ガス抜きに利用したい思惑があるだろう。そうすれば、デモを外国へのメッセージにも活用できる。けれども、政治参加が抑制されたままでのデモは、意思表示の機会がない以上、暴徒化する危険性をはらんでいる。日本でも、普通選挙制度が実施される以前、日比谷焼打ち事件を筆頭に民衆暴動が少なからず発生している。何らかの選挙を行わない限り、民衆のガス抜きができず、中国のデモは暴力傾向に歯止めがきかない。現段階で、共産党に代わって統治できる政治勢力は存在しない。選挙も限定的にならざるを得ないが、もししないと、騒乱を招きかねない。

     

     韓国では、2012年末に実施される大統領選挙の候補者として、安哲秀ソウル大学校融合科学技術大学院院長の名が挙がっている。彼は既成政党と距離を置き、世論調査でも高い期待率を示している。同国でも、既成政党への不信感が高まっている。けれども、市民社会の組織化も未整備である。

     

     韓国の民主主義は1992年に発足した金泳三政権から始まっている。20年ほどの歴史しかない。しかも、アジア通貨危機によって国家破綻の瀬戸際に追いこまれるなど決して順調に進んできたわけではない。例えば、同国は日本よりもセーフティー・ネットが弱く、不況に陥ると、失業者が自衛策として自営業を始める傾向がある。韓国社会には急速な高学歴化や労働市場の流動化、階層の両極化などの特徴があり、市民社会の組織化が進みにくい。

     

     代表する者と代表される者との関係が不安定であるため、政党の離合集散が繰り替えされている。貧富の格差の拡大を始め社会の亀裂もあり、大統領の椅子を狙う有力政治家は支持母体から組織的な支援を調達するよりも各種のメディアを通じて有権者に直接訴える手法を採用する。こうした無媒介性の共通基盤として国家もしくは民族が持ち出される。

     

     日本は、中韓と比べて、民主主義の歴史が長い。ただし、市民社会の組織化が進んでいるわけではない。戦後民主主義への嫌悪が保守派の間に根強く、それによって培われた価値観を尊重し、市民社会を組織化する動きに敵対的ですらある。

     

     55年体制は東西冷戦と高度経済成長に適合した政党システムである。90年代に暗黙の前提が崩れた時、政党は社会の代表としての信頼を市民から失う。もちろん、創価学会と公明党のような例外もある。1995年の阪神・淡路大震災を契機に、市民の政治参加の意識が高まる。市民社会を組織化する課題はこの時から本格化したと言える。

     

     こうした状況下、国民の既成政党への不信感が高まる。彼らは自分たちを代表していない。そこで、一部の国民は国家との結びつきを強め始める。変動する社会とのコミュニケーションがうまくできないため、国家との一体感をアイデンティティとして見出す政党の動きも活発化する。リーダーは、社会変動に伴う従来の支援団体の弱体化もあり、各種メディアを利用して有権者に直接訴え、自分個人への人気を政党支持に拡張しようとする。その際、しばしば愛国が持ち出される。

     

     こういった三国の現状では、外交はデリケートにならざるを得ない。経済の相互依存が進んでいる遍在、お互いの社会の対立は好ましくない。愛国が噴き出すような懸案事項はこれまでの積み重ねに沿って慎重に対応するほかない。

     

     戦前の日本の帝国主義が中韓の人々を苦しめたことは確かである。そのことについて批判するのももっともだ。しかし、と同時に、中韓もその愚かさを教訓として学に、自分たちはそれを絶対にすまいとしていく必要もある。

     

     愛国から少々離れるが、市民社会の組織化の観点から考えると、過去数年の日本政治の動向も理解できる。市民社会の組織化に政党も積極的に関与しないと、無党派層が拡大する。これは無投票層ではない。選挙の度に有権者は失政に憤って野党に投票し、政権が不安定化する。民主党が市民社会の組織化に関心を寄せていたが、松下政経塾出身者を始め旧態歴然たる保守主義者を多く抱えているため、中途半端に終わる。政治は停滞し、その打開策として、政党は民自公による三党合意のようなカルテルを結ぶ。なお、大連立も政治カルテルである。複数政党制は、異なる理念を持った政党が有意義な政策を競って国民に選択肢を提案するものだが、それが形骸化する。

     

     こうした状況下、既成政党を批判し、政治停滞打破を主張する政治家が登場する。各種メディアを利用して直接有権者に自説を訴えかける。この手法は直接選挙で選出される首長にとって非常に有効である。中には派手な言動を話題を振りまく首長も見られるが、その主張は新保守主義である。民営化政策を促進する一方で、国家との結つきを強調し、失政の責任を労働組合や中央省庁など既成のシステムに押しつけ、国政への色気を隠そうとしない。

     

     こうした新保守主義の首長を最も支持するのは豊かな層である。貧しい層が熱狂的に推しているわけではない。蟹工船ブームを経て、新保守主義政策が自分たちに不利に働くとわかっているからだ。現代日本政治を分析する際、疎外論は適切ではない。

     

     豊かな層は、厳しい国際競争の中で苦境にある日本を支えている自負もある。彼らは貧しい層に同情的ではない。同じ時代を生きながら、自分たちはちゃんと成功している。貧しい人たちは自身にその非があるからだ。富の再配分にも、当然、否定的である。既成政党は既得権益を守るばかりで、これだけ社会に貢献している自分たちを代表していない。彼らは、そのため、国家との結びつきの意識が強い。その不信感に応える政治家を待ち望む。けれども、その支持は穏健もしくは消極的である。あまりにラディカルな政策を実施して社会が混乱し、せっかく築いた自分の地位や財産を失うことは避けたいからだ。

     

     官邸デモも市民社会の組織化の未整備による現象の一つである。これは動員ではなく、自然発生的に始まったものであり、政治的にも幅広い層が参加している。既成政党は社会を代表していない。311を踏まえて新しい社会の建設に向けた政策を実施していかなければならないのに、永田町は社会と遊離した政治ゲームに明け暮れている。今の政権は原発再稼働をするなど民意を反映していないが、市民には意思表示の機会がない。それなら、自分たちで作るまでだ。組織化が遅れているからこそ、シングル・イシューへのアドホックなコミュニティには抵抗感も少ない。

     

     愛国は政治と社会の信頼関係が損なわれた状況に忍び寄る。それは国際関係の信頼まで悪化させてしまう。現代東アジアの政治課題は市民社会の組織化である。その上で、代表する者と代表される者との信じ合える関係から健全な統治が実施され、国際関係でも良好なパートナーシップが確認されるだろう。

     

     他国へのホスピタリティのない愛国は自惚れにすぎない。それは、空想の中での誇示を現実化しようとして、課題の解決をかえって困難にする。

    〈了〉

    参照文献

    原純輔他、『社会階層と不平等』、放送大学教育振興会、2008

    カール・マルクス、『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』、村田陽一訳、国民文庫、1971


    電子書籍と学校図書館

    • 2012.08.08 Wednesday
    • 03:25
     

    電子書籍と学校図書館

    Seibun Satow

    Aug, 05. 2012

     

    「世界を理解するには、それを組み立ててみなければなりません。それも一回ではなく、三回組み立てねばなりません。最初は筋肉を使って、次にヴィジョンによって、そして最後に、目の前の現実を超越させてくれるシンボルによって、世界を組み立てるのです」。

    アラン・ケイ『教育技術における学習と教育の対立』

     

     「灯火親しむべし」といかない季節であるが、マスメディア上で電子書籍の話題は熱く語られている。ほぼ毎日と言ってよいけれど、まだ物珍しさから日常へとは至っていない。市場規模や事業連携、リーダーをめぐるも現状と将来性が多い。産業から電子書籍を見がちで、それを必要としている場面への眼差しは数少ない。

     

     学校図書館は電子書籍を最も求めている領域の一つである。今日の教育は学校教育から生涯学習までと幅広い。学習に書籍は欠かせない。学術研究から情操教育まで用途はさまざまである。図書館はその要求に応えなければならないが、なかなか難しい。

     

     遠隔地に住む人が図書館を利用するのは容易ではない。放送大学を始め通信制教育を受ける機会は格段に増したが、印刷教材だけでは不十分である。けれども、学習に必要な書籍が揃った図書館が近所にあるとは限らない。意欲の点で、生涯学習の学生は一般よりも非常に高い。それが読書環境をめぐる地域間格差によってそがれるのは、教育の意義を揺るがしかねない。

     

     また、すべての図書館が同じように蔵書を拡充することはスペース・予算上の制約がある。被災地域の学校図書館を中央大学付属中等・高等学校のレベルにすることは不可能である。図書館にとって、蔵書数は非常に重要である。それは学術研究のためだけではない。子どもたちに読書の楽しみを体感してもらう目的もある。図書館にある書籍は読まなければならないと言うよりも、読んだ方がいいと思われるものである。十分な選択肢を用意していなければ、子どもたちに読書の楽しみがわかない恐れがある。

     

     しかも、ある書籍を誰かが借りている間、他の人がそれを読むことはできない。図書館によってはリクエストが多い、もしくは授業の副教材の書籍を複数所蔵しているケースもあるが。そういった本は需要過多であるので、待たないと借りられないのが普通である。また、絶版ないし品切れの書籍となると、買い増しはできないし、コピーを繰り返せば貴重な蔵書が痛む。加えて、百科事典のような館内でのみ利用される書籍であっても、排他性の事情は同じだ。

     

     電子書籍はこれらの問題を解決できる。ネットワーク化された図書館がコンテンツを用意し、生徒・学生が端末で接続して、必要な書籍を閲覧する。これなら、遠隔地に居住していても必要に応じて本を読めるし、小規模の図書館であっても論理上蔵書数を増やせるし、同時に多人数が同じ本を利用できる。電子書籍はモバイルな図書館である。

     

     電子書籍の図書館としての活用はインターネットの理念「自立・分散・協調」に非常に即している。ネットを通じた新たなサービス・商品の普及は、この理念にどれだけ適合しているかで占うことができる。この理念を実現しようとするものがインターネットから浸透する。

     

     情報科学者のアラン・ケイは、グーテンベルクの印刷術の歴史的意義を書物のモバイル化だと主張する。彼は、『ともに未来を発明しよう』において、グーテンベルクの活版印刷機が登場したときに、もし市場調査をしたとしたら、浸透しないと結論づけただろうと言っている。印刷機が貴重であるため、印刷物は高価であり、写生本に太刀打ちできない。そもそも識字率が低く、しかも一部のエリート層にとって議論すべき課題はキリスト教に限定されている以上、印刷術は普及しないというわけだ。

     

     しかし、アラン・ケイは、アルダス・マニュティウスとマルティン・ルターがこの状況を一新したと指摘する。前者は聖書以外の利用方法を考案し、書物の小型化に成功、携帯を可能にしている。また、後者は信者が聖書を理解するためには、自分自身で読む必要があると考え、印刷物を自己解釈メディアとして位置づける。二人は印刷術をモバイルというヴィジョンから認識している。

     

     こうした歴史を踏まえ、アラン・ケイは、『パーソナル・ダイナミック・メディア』において、コンピュータをモバイルから捉え直している。未来のコンピュータはA4サイズ程度の片手で持てるくらいに小型化され、持ち運べる図書館であり、美術館であり、博物館であり、工房であるだろと予言する。電子書籍は、確かに、アラン・ケイのヴィジョンの実現化の一つである。

     

     余談ながら、19世紀のアメリカでは、紙幣がモバイル博物館として期待された時期がある。その頃、田舎に住む農民は美術品など見たことがない。世界の近代化の最先端を切り開くん合衆国の国民がこれではいけない。彼らを啓蒙するために、1896年、連邦政府はアメリカの歴史や芸術の象徴的イラストを刷り込んだ銀の兌換紙幣を発行している。これは教育用紙幣ということで、「エデュケーショナル・シリーズ(The Educational Series)」と呼ばれている。

     

     電子書籍が普及すれば、図書館や司書が不要になるわけではない。多種多様な背表紙を見ているだけで、読んでみたいと思わせることもある。研究に必要な書籍と偶然めぐり合うことも少なくない。また、さまざまな利用者のニーズに豊富な知識と経験で応えるガイドがいなければ、本の世界に迷ってしまう。映画『ライブラリアン』のフリン・カーソンのような人物とも会ってみたいものだ。さらに、図書館は出会いやコミュニケーションの場でもある。電子書籍は教育上の機会の平等に寄与するのであって、読書の楽しみを効率性の観点から奪うものではない。

     

     電子書籍について語られる際に、見落とされる点がまだある。その一つが読書のスタイルである。

     

     活版印刷は読書の姿を変えている。それかで声を上げて読むこと、すなわち音読や素読、読誦が一般的である。また、書物を書き写すのも読書の一種である。読書は筋肉を使う作業を通じた知識の身体化を指す。しかし、この習慣はグーテンベルク革命が衰えさせる。活版印刷は書物を個人で所有することを可能にする。自由で平等な個人が自窒して考えるという近代の理念、すなわち個人主義とも相まって、黙読が読書の通常の姿となる。識字率も上がり、大人には誰かに読んでもらう必要はなくなる。一人で、黙って、活字を目で追う内面的作業が読書であるという共通理解が人々の間に形成される。

     

     電子書籍はおそらくこうした読書の様相を変容させるだろう。確かに、リーダーに向かっている姿は黙読が依然として主流である。しかし、活字書籍についても電子メールによって感想を誰かに伝えたり、ブログで意見を発表したり、SNSのコミュニティに参加して交流したり、二次作品を表わしたりしている。「協読」とも呼べるスタイルが定着しつつある。

     

     インターネットは自立・分散・協調という新しい公共性をもたらしつつある。読書は、それを受けて、個人主義的・内面的作業でなくなっていくに違いない。印刷時代と違い、書物は共有するものだ。自立・分散・協調のネットワークの中で読書は象徴的行為として行われる。コンピュータならびにインターネットは、だからこそ不安を覚えるのだが、脳の拡大でもある。電子書籍端末は読むだけでなく、書き、音声出入力に対応、視聴し、表現して、送受信するメディアである。電子書籍はそうした内外のニューロネットワークのアクセス・ポイントである。「ニューロリーディング」が促進されるであろう。

     

     読書に新たな楽しみが加わる。それが電子書籍の真の意義である。

    〈了〉

    参照文献

    浜野保樹監、『アラン・ケイ』、鶴岡雄二訳、アスキー出版局、1992


    戦没者慰霊は国民国家の宗教である

    • 2012.07.31 Tuesday
    • 22:03
     国民国家の宗教
    Seibun Satow
    Aug, 01. 2012

    「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」。
    寺山修司

     戦没者慰霊は国民国家の宗教である。国民国家体制では、時代や国によって解釈の違いが見られるものの、政教分離が採用されている。前近代において政治と宗教は関連している。邪馬台国の女王の卑弥呼はシャーマンだったと思われているし、平安時代、宮中では仏事が毎日のように執り行われている。国民国家において、祭りごとは政からと区別され、神政政治は否定される。それに代わる世俗主義が政治と宗教の適切な関係と認められる。権利の中で世界中の現行の憲法が最も採り入れているのが信教の自由である。公私は区別され、内面の自由は保障される。けれども、その世俗主義の宗教が英霊の追悼である。

     国民国家は国民によって統合された国家であるが、その「国民」に関する理解は時代と共に変遷している。フランス革命期には、それは言語共同体であったけれども、現代では素朴すぎて通じない。儀礼の変更は社会の変化を人々に体感させる。国家は、「国民」という共通意識を形成するために、そうしたさまざまな装置を用意している。

     国民国家と宗教勢力が自らの利益のためにお互いを利用することはしばしば見られる。ドイツではクリスマスを家族だけで祝うが、これは近代以降に確立した習慣である。近代的な市民社会の秩序には道徳的な市民形成が不可欠であり、それには家族を中核とする家庭教育が効果的である。キリスト教会は神聖家族、すなわちヨセフ=マリア=イエスの理想を市民に理解させる好機と近代の到来を捉え、働きかけている。

     しかし、国民国家の宗教はこうした政教癒着ではない。国民国家はその支配圏内において至高の存在である。それは死後の世界にまで及ぼうとする。人間における死は二種類ある。自分の死と他者の死である。近代人にとって死は前者であるが、国民意識に利用されるのは後者である。

     国民国家において軍事は戦士身分や傭兵が担当しているわけではない。軍隊は国民によって編成された常備軍である。国民の戦争が国民国家体制の戦争である。国民軍のない近代以前、対外戦争の戦死者全般が共同体の慰霊対象には位置づけられていない。元寇や朝鮮出兵に従軍した武士を当時の権力が英霊とした記録はない。その頃の戦は国民の戦争ではないからだ。

     なお、国民国家の宗教における戦死者は対外戦争の従軍兵に限らない。革命や独立など国民国家体制を確立するための戦争も含まれる。

     死者は死後の世界にいる。既存の宗教では、そこは天国と地獄などの善悪の対立構図によって秩序立てられている。英霊はその差異を超える。けれども、戦没者は国家の大義のために殉じたとして他の死者と区別される。兵士がいかなる理由で死を受け入れたのか、無念のまま亡くなったのかは国家は問わない。さまざまな死があるのに、それが一つの国民国家の神話に編集されてしまう。前近代では死者の扱いを決めるのは、十字軍が最たる例であるけれども、あくまで宗教であって、国家ではない。

     英霊は一般の死者と別の死後の共同体にいる。死後の世界を国民国家がそうやって支配する。慰霊を通じて彼らは国民国家の共通の記憶として認識される。その上で、死後の世界によって国民国家は自らの大義を正当化する。戦没者慰霊を通じて国民国家は自身を支配圏内で超越的存在と国民に刷りこむ。

     戦没者追悼が国民国家の宗教として定着したのは、第一次世界大戦からである。それは人類の経験した最初の総力戦であり、もはや戦争は英雄物語ではない。動員された無名兵士たちが過酷な状況で命を落とし、心や体に傷を負う。儀礼はコミュニケーションの場でもある。慰霊を通じて、戦死者は今に語りかける。その無名戦士は誰もが知っている息子であり、兄弟であり、恋人であり、友人であるかのように生者に感じられる。敗戦国においてもこうした追悼が行われる。確かに、勝利を得ることはできなかったけれども、彼らは国家の大義のために犠牲になったのだとされる。戦没者追悼の儀礼によって死者も生者も共に同じ国民であることを確認する。

     第二次世界大戦以後は事情が複雑になる。戦間期、議会制民主主義が標準化し、参政権の拡大や(日本などを例外とする)国民主権の定着、侵略戦争が禁止される。こうした民主化の進展の一方で、代議制を否定する全体主義も出現する。国際的に正当化するのが困難である戦争の勃発にも世論の動向がかかわってくる。この場合、戦没者は、国家の大義への殉死と言うよりも、戦争責任と向き合いつつ、愚かな指導者や不幸な時代の犠牲者として位置づけられる。この認識は第二次世界大戦からベトナム戦争やアフガニスタン戦争を経て現在に至るまで続いている。

     ただし、20世紀以降の戦争の死者は軍人だけではない。第二次世界大戦の犠牲者は全世界で約6000万人と推定されているが、そのうち4500万人が民間人である。兵士よりも市民の死者の方が多い。批評家佐藤清文の祖父のような職業軍人が生き残り、生後間もない赤ん坊が命を落とす。そんなことが起きている。総力戦の経験後、軍人と民間人の犠牲者を区別することはできない。

     国民国家において戦争による死者を忘れることは許されない。死者にとって大切なのは生者が自分を覚えていることである。けれども、その記憶は次第に薄れていく。忘却は生者の精神の健康にとってはやむを得ない。しかし、戦没者の場合は違う。生者は、知遇でなくても、忘れてはならない。内面の自由を保障する国民国家の戦争はここまで人間の心理に立ち入る。

     そうした戦没者の追悼施設は、国民国家において、最も神聖な場所である。聖地として超越的であるために、既存の宗教色を抜いていなければならない。国民国家は神の死と共に出現している。その施設での儀礼を執り行えるのは国民国家の宗教の聖職者、すなわち政治家である。

     8月は、日本において、戦争を考える季節である。それは国民国家体制の暗黙の前提を吟味する本質的な問いかけをも含んでいる。その考察はこれからの社会のありようにもつながる。
    〈了〉
    参照文献
    子安増生編著、『心が生きる教育に向かって─幸福感を紡ぐ教育学と心理学』、ナカニシヤ出版、2009年

    「タクト」の時代

    • 2012.07.28 Saturday
    • 15:44
     コミュニケーション能力の時代?
    Seibun Satow
    Jul, 27. 2012

    「千里馬常有而伯樂不常有」。
    『韓文公雑説下』

     毎年、経団連は企業を対象に新卒採用の選考で重視する点についてアンケート調査を行っている。2011年のトップは「コミュニケーション能力」である。これは、実は、8年連続の結果である。こうした情報により、就職活動に臨む学生の間でそれが注目されている。ネット上にもこの能力の認定や検定の講座が溢れている。

     能力は時代や社会によって要求ないし強制されるものだ。70年代、和文タイプの能力が事務職に求められたが、ワープロの普及した今日では見向きもされない。また、戦前の台湾で生まれ育った本省人は日本語を話せる。日本の植民地だったからである。

     「コミュニケーション能力」は今の日本社会が要請しているものであろう。2004年、厚生労働省が「コミュニケーション能力」を「就職基礎能力」の一つに挙げている。ただ、この「コミュニケーション」は定義が不明瞭で、何を指しているのか曖昧だ。ろくに定義もされないまま、無内容な言葉が流通することが日本ではままある。今回もそういう気分がある。そもそもコミュニケーションは幅広い概念である。その中には非言語コミュニケーションもあれば、アフォーダンスもある。

     コミュニケーション能力認定に「神経言語プログラミング(NLP)」を応用したカリキュラムを用いている講座もある。これはアンカリングやリフレーミングなど認知心理学の成果を採り入れたものである。この場合、コミュニケーション能力は、自分の意見を伝え、相手を説得する技術と捉えられている。

     これはコミュニケーション能力と言うよりも、「レトリック」、すなわち「弁論術」と呼ぶ方が適切である。レトリックは古典時代から研究されてきた由緒正しい学問で、近代に至るまで重要な教育科目とされていた自由七学科にも含まれている。自由七科は三つの「アート」、すなわち「学芸」と四つの「ディシプリン」、すなわち「学科」に分類される。トリウィウムは文法学・弁証論・修辞学、クワドリウィウムは幾何学・算術・天文学・音楽である。前者が同時代とは異なる可能性がある偶有的な事柄を扱うのに対し、後者はそれがあり得ない普遍的な事柄を扱う。

     レトリックの学習熱が高まっているとしたら、教育の伝統から鑑みて、決して論うべきではない。レトリックは人の心を動かす生きる知恵である。けれども、ソフィストが示しているように、しばしば口先の技術に陥りやすい。そこで、徳の裏打ちをするために、弁証論が必要である。他者との問答を通じて真理を探究する哲学が伴って、レトリックは内実のあるものとなる。今のレトリック向上の動向を問うとしたらの、ソフィストのマスプロに陥っていないかどうかという点だろう。

     レトリックも能力である以上、盛衰がある。第二次世界大戦直後の欧州、特に西ドイツで、レトリックが教育現場から追放されている。理由はファシズムである。ファシストやナチスはアジテーションとプロパガダなどでレトリックを駆使し、大衆を扇動している。現在では、ファシズムの手口を知ることが免疫につながるとして、レトリックを批判的に学ぶことが現場で復活している。加えて、メディア・リテラシーの観点からも、教育の対象になっている。

     また、第一次世界大戦後、日本でレトリックの必要性が強く説かれている。ベルサイユ講和会議に参加した日本代表団が無口だったことから、雄弁術の運動が国内で沸き起こる。中野正剛や永井柳太郎、松岡洋介などが雄弁家として頭角を現わしている。

     もっとも、今巷で言われている「コミュニケーション能力」はレトリックだけを指していないようだ。2012年7月21日付『朝日新聞be』において「『コミュニケーション能力』自信ある?」というアンケート調査の結果が掲載されている。そこで挙げられているコミュニケーション能力の内容は、レトリックに相当するもの以外に、理解力や意思疎通、協調性、共感力などである。それらをまとめるなら、この「コミュニケーション能力」は「交際術」と呼ぶ方がふさわしい。

     交際術も能力の一つであるから、歴史を振り返ると、流行した時期が見出せる。1788年、ドイツのアドルフ・F・V・クニッゲが『人間交際術』を刊行し、大ベストセラーになっている。18世紀後半、交際術が今の「コミュニケーション能力」のように人々の関心を集めている。

     近代以前、親父の仕事を息子が継ぐのが当たり前で、生まれた共同体で生涯を終えるものが大半である。交友関係も顔見知りがほとんど、お互いによくわかっている。ところが、近代に入ると、この状況が変容する。職業選択や移動の自由が認められ、見知らぬ人と出会う機会が増す。社会がコミュニティの集合からネットワーク化する。漠とした社会で、新たな事態に対処したらいいかを人々は求めるようになる。

     そんな時代背景の下で出版されたのが『人間交際術』である。見知らぬ人への声のかけ方や初対面の時の作法、自分を相手に売りこむ方法、ナンパ術などが記されている。それらはまさに今日の「コミュニケーション能力」と重なる。

     今、巷で「コミュニケーション能力」が関心を集めるのも、グローバル化の進展に伴い、異文化を含めた見知らぬ人と出会う機会が増えとことや第三次産業の比率の増大などが理由だろう。増加する未知の事態への対処法を「コミュニケーション能力」に求めている。

     実は、『人間交際術』が刊行された2年後の1790年、イマヌエル・カントが『判断力批判』の中で技術と理論を橋渡しする「判断力」を「論理的タクト」と呼んでいる。日本語で指揮棒を「タクト」と言うが、同じ単語である。ただ、ドイツ語では、他に、人間関係において相手の感情を察する繊細さや調和のとれたリズミカルさといった意味がある。カントは「タクト」を綱渡りの曲芸に譬え、技芸で働く知恵や状況の真っただ中で使われる技だと言っている。

     ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトは、カントの考察を受け、それを教育学に援用、養成法に取り組んでいる。しかし、タクトの達人がいたとしても、それはその人の経験や個性と結びついており、定量化や一般化が難しい。できることと言えば、核心となる諸要素の関係を見通しよく記した地図を作製することしかない。初心者はそれを片手に未知の世界を逍遥し、自らの関心や観点、すなわち「思考圏」に応じた独自の地図を描いていく。ヘルバルトはそう主張する。タクトの修練は「車輪の再発明」でもあるだろう。

     交際術はこのタクトのことである。書物に記されたことを模倣してみる。うまくいけば、そのまま蓄積され、そうでない場合は修正して再度試されるか、廃棄される。模倣の過程そのものが経験として知的財産となる。

     タクトは「力」と言うより、「才」である。母親が子どもの様子から学校での状況を察する。教師が生徒の様子からクラスの状態を把握する。注意深く観察し、気づいた情報から異変を察知することもタクトの一種である。タクトを磨く場面は至るところにある。いわゆる「コミュニケーション能力」は「タクト」のことであり、向上させようと思ったら、それを「力」ではなく、「才」だと認知して遍在する機会を無駄にしなければよい。「能力」は教える側にとって便利なもので、学ぶもののための考えではない。

     参考にする話はいくらでもある。ロッテ・オリオンズに在籍していた落合博満は、ある日、同僚のㇾロン・リーの体調が悪そうだと稲尾和久監督に進言する。稲尾は日本プロ野球史上最強の投手であり、「神様仏様稲尾様」と尊敬されたタクトの達人である。その人をしても主軸の異変に気づいていない。日本人に黒人の顔色の違いがわかるものかと監督が理由を尋ねると、三冠王はこう答えている。「肌のつやがいつもより悪いんですよ」。
    〈了〉
    参照文献
    鈴木晶子、『イマヌエル・カントの葬列―教育的眼差しの彼方へ』、春秋社、2006年
    アドルフ・F・V・クニッゲ、『人間交際術』、笠原賢介他訳、講談社学術文庫、1993年
    佐藤清文、『科学コミュニケーションと感情知』、2012年
    http://www.geocities.jp/hpcriticism/oc/scek.html
    佐藤清文、『車輪の再発明』、2012年
    http://www.geocities.jp/hpcriticism/oc/rw.html


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