スポンサーサイト

  • 2012.12.22 Saturday

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 0
    • -
    • -
    • -
    • -

    家・職・協

    • 2012.09.30 Sunday
    • 19:43
     

    家・職・協

    Seibun Satow

    Sep, 29. 2012

     

    「衆力功あり」。

     

     金曜の夜の官邸デモが始まってから、2012928日で半年を迎える。日本において、「世界価値観調査(World Values Survey)」の上でも、政治参加は投票が主で、他の先進国と比較して他はあまり高くないのが従来の姿である。それとは明らかに違う光景が継続的に現われたことになる。次回の結果が楽しみだ。

     

     これまでは、デモが行われても、組織動員が大半である。しかも、後発国であるため、市民社会の組織も利益団体がほとんどだ。経済団体や産業協同組合、労働組合など産業と結びついている組織が多く、その政治参加も営利目的である。

     

     しかし、フクシマが起きて以降、市民は請願の署名や脱原発デモを自発的にお展開している。それは家と職に加えて協という第三の世界を持ち始めたことを著わしている。

     

     日本の前近代社会では、全般的に仕事が家業であるため、家庭と職場がほぼ一致している。人にとって社会は一つである。身分や職能が親族間で伝承されるので、相続社会と呼ぶことができよう。また、共同体内のつながりが強く、幅広い年齢層間のコミュニケーションが基調で、若者は年寄から知恵を学ぶ。極端な思考は、この過程でバランスが整えられるため、消失する。反面、しばしば規範への従属が強いられる。

     

     近代社会に突入すると、賃労働が浸透してくる。生活と労働の場が分離し、人にとっての世界は二つになる。これが産業社会の特徴である。また、生活と生産の場が別であるから、交友関係を選べる。年齢や嗜好、思想信条、相性など似通った人間が集まり、同質的な関係でコミュニケーションをする機会が増え、年齢に関係なく、偏った考えが増幅される傾向がある。極右思想は伝統を根拠にするが、相続社会では極論が修正されるのであって、実際には産業社会の産物である。

     

     世界が二つに増えると、両者の調整が要る。職場は個々人の都合を配慮して融通するのが難しいので、家庭が専らそれを負う。家族はさまざまな調整を続けることで、初めて維持可能である。性別役割分業はそうした事情から正当化される。世界の増加につれその調整がさらに難しくなるので、家族の機能が高度化する。時代と共に家族内のつながりが希薄化したというのは見当違いである。

     

     また、政府の調整の役割も大きくなる。相続社会は貨幣経済と切り離された部分も少なくなく、自給自足傾向がある。事実上失業問題が存在せず、政府の機能は小さい。しかし、前近代が必要としなかったように、近代工業製品は人間にとって生活必需品ではない。産業社会においては供給過剰に伴う景気変動が発生し、失業が生じる。政府のマクロ政策が求められるようになる。

     

     こうした世界観が変わったのは1995年の阪神・淡路大震災からである。これを契機に、ボランティア活動が色眼鏡で見られることがなくなり、市民の社会参加・貢献への意識が高まる。請願の署名や非相乗り候補の選挙キャンペーンへの参加など地方政治の関与から始まり、国政選挙にも関心が広まる。ワイドショーも政治が視聴率の稼げるコンテンツとして取り上げる。そうした積極的な取り組みはインターネットの定着によって増幅し、各種のSNSの浸透がそれを爆発的に促進させる。このような状況下で、311が発生する。

     

     現代社会では。人にとって世界は三つである。家・職に協の場が加わる。それは社会参加や社会貢献であり、新たな公共性・公益性の形成の力が働いている。この協はイデオロギーから生まれたわけではない。むしろ、生命をめぐる不安からである。自然災害や原発事故は生命を脅かす。こういう問題に対処するには家や職だけでは不十分で、それを超えたネットワークが必要である。協は切実な希求から市民の元に現われている。

     

     三つに増えたことにより、調整を協の世界も担うことになる。家庭だけが負う必要はない。また、政府だけに押しつけるのではなく、公共財に関して市民も協力する。企業などの経済活動、すなわち私的活動では進化には競争が欠かせない。一方、公共財においては、協力によってそれが可能になる。公共財は産業社会では難しい問題と考えられてきたが、協働社会においては解消される。

     

     ただ、世界の増加は思考の偏りを助長する場合もある。極論は多様なコミュニケーションによって修正される。これを生かしたのが熟議の民主主義である。協にもこの可能性がある。しかし、ネットは、選択の自由が大幅に認められているので、より自分の歪んだ信念を強化する出会いを可能にする。極論に凝り固まり、閉鎖的なグループが無数に点在し、相互に不干渉、あるいは誹謗中傷を繰り返すようになる。バランスよく修正される機会が乏しいので、非常に流動的で不安定な状態である。これが「サイバー・カスケード」と呼ばれる現象である。

     

     従前の社会でも余暇や趣味、娯楽を楽しみ、それを通じて家庭とも職場とも違うコミュニティを形成する場合がある。けれども、公共性・公益性への寄与を目的にしているわけではない。

     

     市民が三つの世界を持っているのに、政治は対応する気がないように見える。それはこれからの公共性・公益性をどうするのかまったくヴィジョンを駆逐していないことを露わにしている。あまりに機動性と戦略性に乏しい。おそらく協が生命活動の求めた世界だということがわかっていない。

     

     2009年の政権交代の際、新政権は新しい公共性の構築を政治課題の一つに掲げている。三つの世界論を政治に組み入れようとしている。しかし、松下政経塾内閣が発足すると、この姿勢は後退する。ところが、自民党に至っては、総裁選がよく示していたように、市民の新しい動向に無関心で、産業社会の認識にとどまっている。信じがたいアナクロニズムだ。彼らの生きている時代はいまだに昭和である。

     

     また、利益団体の姿勢も相変わらずだ。原発ゼロ社会への反論が業界団体や経済団体等から寄せられているが、それは産業社会の認識に基づいている。原発を推進しなければ、家と職が苦しくなるという主張だ。その妥当性以前に、生命への不安が脱原発運動の動機なのにもかかわらず、協がすっぽりと抜け落ちている。

     

     協の重要性は社会に認知されつつある。企業もCSRを謳い、大学も社会貢献を口にしている。けれども、実践はおろか、それが何であるか把握しきれていないのが実情だろう。官も報もどうかと問われて、自信を持って答えられるかは疑問だ。この点に関しては、市民の方がはるかに先進的である。政官財学報は市民に協力し、そこから学べる。

    〈了〉

    参照文献

    World Values Survey

    http://www.worldvaluessurvey.org/


    領土問題

    • 2012.09.20 Thursday
    • 23:11
     

    領土問題

    Seibun Satow

    Sep, 20. 2012

     

    「ただそれほど大切でないことは誤解されることを用心しなければならない。もしそういう誤解が生じてそれを解かなければならないとしたら、その仕事はなにしろ馬鹿馬鹿しいに違いないから」。

    中野重治『素僕ということ』

     

     傍から見れば不思議でならないだろう。世界有数の経済大国同士が、しかも相互依存を通り越して相互浸透しているとまで言える両国があんな小さい島々の領有をめぐって争っている。領土が国力の重要な要素と信じられた時代はすでに過ぎ去っている。

     

     戦前、スコットランド啓蒙から影響された石橋湛山は植民地の全面放棄を提唱している国力は領土や軍備といった軍事力へ翻訳できるものではなく、技術力や人材、互恵関係などである。当時はあまり顧みられなかったが、戦後の日本はまさにこの「少日本主義」で国力を拡充している。

     

     尖閣諸島に関して日本の週刊誌やワイドショーなどでは「一触即発」といった表現が踊っている。他方、中国のSNS上でも好戦的な意見が飛び交っている。しかし、あんな岩だらけの島の領有をめぐって日中の経済関係を断絶し、両国の若者の命を失うのに値するとは思えない。資源が得られるとしても、代償には釣り合わない。

     

     尖閣諸島をめぐる戦闘シミュレーションを日本の保守派のメディアで紹介されているが、真に滑稽だ。戦争の勝敗が軍事的ではなく、政治的に決まるものだということをまったく理解していない。

     

     しばしば領土問題は生物の縄張り争いのアナロジーで語られるが、これは不適切である。種によって自己あるいは自分の遺伝子を保存するために必要とされるテリトリーが決まっている。この合理的判断を超えてまで争うことはしない。無駄な行動は死を招く。

     

     国家間の領土問題は合理性を欠いていることが少なくない。争いは当該国の周辺に位置し、資源が絡む場合もあるが、大局的にはそれに見合うわけではない。あるきっかけでそうした争いが生じ、次第に対立が両国にとって象徴化し、今さら引くに引けないと自己目的化する。こういう過程をたどることが多い。家の境界線をめぐるもめごとと似ている。

     

     実際、重要な地域であれば、その領有権争奪は当該国にとどまらない、国際社会が調停に乗り出す。典型がスエズ運河である。1956年、エジプトがスエズ国有化を発表すると、英仏イスラエルとの間で戦争が勃発する。そこに米ソが介入し、エジプトを擁護、問題を決着させている。

     

     世界で最も危うい領土問題はカシミールの帰属だろう。それをめぐって印パ両国がお互いを仮想敵国と見なし、核兵器で対峙している。人類絶滅の引き金ともなりかねない米ソの冷戦と違い、両国の保有する核兵器の量が少ないため、いわゆる抑止論が働きにくく、使用されるハードルが低い。

     

     しかも、南アジアでインドは大半の統計で突出した値を示す。インドに対して他国は一割程度の規模でしかない。これだけの差があるため、逆に、政府がインドに妥協的な姿勢をとると、弱腰と国内から突き上げられる。インドは、それゆえ、つねに周辺国から脅かされているという意識を抱いている。インドと周辺国との貿易総額は対日のそれより少ないというのが実情である。諸国間の経済の相互依存も進んでいない。

     

     1947年、英領インドから印パが分離独立する際、カシミール藩王国の帰属が問題化する。マハラジャがヒンドゥー教徒であるが、住民はイスラム教徒が多い。しかし、カシミールは地下資源に恵まれているとか交通の要所であるとかいった国益に直結するような地域ではない。印パの建国の理念に関わってくるために帰属が争われている。

     

     パキスタンはイスラム教徒の国を国民統合の理念として建国する。カシミールはイスラム教徒が多いのだから、それに基づいて、パキスタン領とならなければならない。一方、インドは世俗主義を掲げて独立する。政教分離であるのに、イスラム教徒が住民の大半だからと言って、放棄するのは理に合わない。

     

     特に、パキスタンがカシミールの領有に固執するようになったのは、1971年のバングラデシュ独立戦争以降である。イスラム教徒の国を国家イデオロギーとしていたのに、その一部がベンガル人の国を国民統合として分離独立してしまう。パキスタンの建国の理念が事実上崩れる。

     

     インドにしても、ヒンドゥー主義の人民党が国政を担当する機会も生まれている。世俗主義が維持されてはいるが、揺らいでいることも確かである。インドもカシミール領有の根拠がかつてより弱まっている。

     

     そうしている間に、カシミール問題を口実に武装勢力が成長する。対立の長期化はそれを自己目的化した集団を生み出す。彼らには、両国が和解して解決されては困る。

     

     カシミールの帰属の主張は、印パ両国共に建国当時の理念に基づく根拠が弱まっている。その反面、対立は核兵器で対峙するなどエスカレートしている。ここに領土問題の本質が見える。

     

     さもない地域だからこそ、領有権や国境線の争奪が激化すると考えるべきだろう。大したことがないほど、根拠が怪しいほど、それをめぐる争いから客観的意義が失われ、主観的な感情が反映する。双方いずれにおいても、その帰属を問題にすることによって、われわれの同一性と彼らとの差異性を認知できる。領有の裏づけが自分の主観性にしかない。これに反対するのは彼らであり、理解できないのは他人だ。主観的であるからこそ、その意識の共有が排他的一体感となり得て、感情の共同体が形成される。衝突が感情的であれば、それはこじれ、かつ激しくなる。

     

     今日の領土問題は主観的である。だから、かえって、解決が難しい。

    〈了〉

    参照文献

    『ちくま日本文学全集39 中野重治』、筑摩書房、1992


    中国のデモ

    • 2012.09.17 Monday
    • 22:22

    中国のデモ

    Seibun Satow

    Sep, 15. 2012

     

    「革命尚未成功」。

    孫文

     

     中国のデモには、他で見られない特徴がある。それは、「愛国無罪」や「造反有理」など民衆が自分たちの行動を正当化するスローガンを掲げる点である。

     

     通常のデモでは、「アメリカに死を!」や「大飯原発再稼働反対!」のように、主張だけが押し出され、いちいち自らを正当化しない。独裁体制にあっても、ナショナリズムに先導されたデモが起きることがあるが、そこでも同様である。

     

     デモにおいてメタスローガンが示されるのは、おそらく、中国の支配構造に由来している。中国共産党は人民の意思を代行して統治しているのが建前であるが、実際には、官僚と知識人が民衆を指導している。実は、この構図は皇帝時代も同じである。中国は伝統的に官僚と知識人が民衆を支配している。

     

     この支配構造は、皇帝時代には、以下のように正当化されている。皇帝が支配者であるのは徳があるからである。皇帝は世界の中心に位置する。この徳を慕って周辺地域から使者が貢物を持ってやって来る。皇帝はその礼に対して褒美とその地域を支配する権利を与える。これが朝貢貿易と冊封体制に基づく華夷秩序である。

     

     有徳者である皇帝を批判することは絶対に許されない。徳があるので、忠告に耳を傾けることもあるが、それは義務ではない。皇帝への批判は徳に背くことであるから、徹底的に糾弾されなければならない。反対意見も尊重して、自分の考えを主張する民主主義的発想は皆無である。官僚や知識人にはその皇帝の意思を理解し、補佐する役割がある。

     

     皇帝自らが批判に対して答えた稀有な例もある。明清交代により、中国は華夷思想において「夷」とされる満州族に支配される。1728年、華夷思想に立脚して反清イデオロギーを広め、四川総督に王朝打倒をそそのかした容疑で曾静が逮捕された。通常、こうした行為には凌遅刑による死刑が適用される。ところが、雍正帝は彼を生かすことにし、その代わりに、取調中に清朝支配が儒教道徳上正統的であると自己批判していくやり取りを『大義覚迷録』として公にする。

     

     徳のある者のみが天に従うことができるのであって、天が味方する際に、その出身地   によって区別することがあり得ようか。わが清朝は東の地方から興り、優れた君主が相次ぎ、天下を安んじ、天の恵みを受け、徳を広め恩を与え、民に安定した生活をさせ、内外の人々に慕われること、すでに百年にもなる。()漢・唐・宋などの王朝は全盛時代にあっても、北狄や西戎の侵入に苦しめられ、その土地を服従させることができなかったために、華夷の区分を建てざるを得なかったのだ。わが王朝が中国の主人となってからは、天下に君臨し、モンゴルの辺鄙な諸部族に至るまでわが領土に入っている。これは中国の領域が広大になったということで、中国臣民の幸いであるのに、どうして華夷・内外の区分を論ずることがあろうか。

     逆書(曾静(反女真的な人 ベティ注)が心を批判した書)では、夷狄は人類と異なるといって禽獣であるかのように罵っている。そもそも人と禽獣との違いは心に仁義があるかどうかということだ。山中の野蛮人で、道徳も礼儀も知らないというなら禽獣と同じかもしれないが、今日のモンゴル四十八旗、ハルハなどを見るなら、君主を尊び目上を敬い、盗賊は起こらず、殺人事件も稀で、詐欺や盗みの習慣はなく、穏やかでなごやかな風俗がある。これをどうして禽獣といえようか。種族的な意味では満州族は確かに「夷」であり、わが王朝は夷狄の名を避けようとは思わない。孟子は、古の聖王である舜も「東夷の人」であり、周の文王も「西夷の人」だと言っているではないか。ここで夷といっているのは出身地のことで、現在の本籍のようなものにすぎないのだ。

    (『大義覚迷録』)

     

     このような理路整然とした皇帝の徳によって、反清イデオローグが自らの過ちを認め覚醒していく。

     

     王朝交代の際、実は、明の遺臣の一部は清に仕えることを拒否して抵抗、もしくは亡命している。その一人である朱舜水は日本に逃れる。彼は、夷狄によって支配された中国ではなく、日本こそが中華であると主張し、水戸光圀を通じて水戸学に影響を与える。その後、山鹿素行も『中朝事実』の中で同様の意見を述べている。しかし、『大義覚迷録』の論理的精度と比較すると、こうした日本中朝主義は粗雑な自惚れでしかない。

     

     皇帝から共産党へと統治者が代わっても、支配構造はあまり変化していない。孫文の革命運動にとっても人民の政治参加は大きな課題である。それには言論のルールを理解していなければならない。しかし、革命を経ても、官僚と知識人が民衆を指導する構造は本質的に存続する。

     

     この支配構造に本格的に挑戦したのが文化大革命である。文革の開始にはさまざまな背景がある。官僚や知識人が情的にされたのは、支配構造に起因している。人民は有徳者に反対して自分の意見を主張するのだから、その行為を正当化しなければならない。しかし、もしそれさえできれば、何をしても許されることになる。これまで官僚と知識人が人民にした仕打ちを思い知らせてやらねばならない。

     

     終了後でも、中国で起こる民衆デモは、文革の姿がちらつく。それだけに、官僚と知識人はその再来を恐れている。

     

     通常のデモではスローガンは主張である。行動は主張のための手段である。主張が正しいかどうかだけで十分である。と同時に、行動によってはその主張が世論から見放される場合もある。デモの参加者数や規模は当局の見方と必ずしも連動しない。

     

     一方、中国のデモにおいてスローガンは行動の正当化である。そこでは行動自体が目的である。行動は歯止めを失い、エスカレートする危険性がある。当局が自分たちの行動をどう認識しているかに反応して、参加者数や規模が伸縮する。

     

     民主主義において、反対意見でも相手を尊重した上で、自分の考えを述べて、議論することが当然とされている。そのため、意見表明自体を正当化する必要はない。こうした言論のルールが中国には、残念ながら、まだ根づいていない。

     

     もちろん、外の世界に人民も容易に触れることができるようになり、認識も変わりつつある。中国に民主主義が定着した時、デモからメタスローガンは消えるだろう。それは中国史上最大級の革命になる。

    〈了〉

    参照文献

    岸本美緒、『中国社会の歴史的展開』、放送大学教育振興会、2007


    インディラVSシンジケート

    • 2012.09.17 Monday
    • 08:17

    インディラVSシンジケート

    Seibun Satow

    Sep, 14. 2012

     

    「愛は平和ではない 愛は戦いである 武器の代わりが誠実であるだけで それは地上における 最も激しい 厳しい 自らを捨ててかからねばならない戦いである─ わが子よ このことを覚えておきなさい」。

    ジャワハルラール・ネルー

     

     今回の自民党総裁選挙には長老の影がちらつく。しかも、それは世論の印象が悪く、先祖返りの様相がある。

     

     伝統社会では、変化がゆっくりして、暮らしと稼ぎの場が一体化しているので、長生きは知恵の蓄積と同じである。長老は共同体のためにその経験を活かすものだ。ところが、近代社会は変化が速く、賃金労働が支配的なため、生活と労働の場が分離している。長老の経験も必ずしも役に立たないどころか、非常識でさえある。保身のために、時代の流れを逆行させようとする老害でしかない場合も少なくない。

     

     政治家になると、その仕事に長期に携わることが多い。政界には精通してくるが、それと関連する国内外の環境の変化にその経験で必ずしも対応できるものではない。残念ながら、バランス感覚に優れた食えないタヌキはなかなかいない。日本以外でも政界の新陳代謝は課題である。

     

     その最も苛烈な例の一つがインドのインディラ・ガンディーのケースである。彼女は、5年間に亘る長老との権力闘争の末、勝利を収めている。しかし、それは成功談としてよりも、真似すべきではない多くの教訓を含んでいる。

     

     インドは連邦制ながら、相対的に中央集権制が強い。しかし、独立運動の中核で、現在に至るまで国政の大半の時期を担ってきたインド国民会議派は、本来、分権的な組織である。これにはマハトマ・ガンディーの方針が影響している。独立を達成するには、運動のすそ野を広げる必要があり、それには参加要件を緩和するべきだ。会議派内での英語以外の言語の使用を認めたり、幹部人事を党内選挙にしたりしている。それによって、会議派の勢力は拡大した反面、自立した地方権力が育つことにつながっている。

     

     地方の地主は会議派の重要な支持層であり、彼らの利益を代弁する政治家を「シンジケート」と呼ぶ。会議派はコンセンサス政党であり、内部に多くの派閥を抱え、その競争が組織全体のダイナミズムを生み出している。シンジケートは会議派右派に属し、独立後、ジャワハルラール・ネルーに代表される会議派左派との間でしばしば経済政策をめぐって権力闘争を繰り広げている。

     

     ネルーは、農業政策として、農地改革による生産量の向上を考えている。土地を再配分すれば、新たな自作農たちには働いた分だけ自分の稼ぎになるインセンティブがあるから、これまでよりも生産量が増えるだろう。この政策は補助金を支出する必要がないので、政府の財政を圧迫しない。

     

     ところが、地主たちは頑強に農地改革に抵抗する。法案はシンジケートによっていつも骨抜きにされ、一向に再配分は進まない。しかも、生産量を増やすためにと補助金の支出が相次ぎ、財政を苦しくする。

     

     1964年にネルー首相が心臓麻痺で急死する。シンジケートは談合して、ラール・バハードゥル・シャーストリーをその後任に推す。ところが、同首相も66年に在職中に亡くなってしまう。シンジケートは急遽後継者を選ばなければならなくなる。白羽の矢が立てられたのがネルーの娘インディラ・ガンディーである。

     

     世間は48歳の女性首相を党内の長老の操り人形と見ている。組閣もシンジケートが実質決めている。とは言うものの、インディラはネルーの娘であり、父の左派路線を引き継ぐと目されている。けれども、大きな政治的危機がそれを許さない。

     

     当時、インドは全国民の65%が貧困に陥ったほどの大飢饉に見舞われ、世界銀行に支援を要請する。しかし、それにはルピーの切り下げや規制緩和、緑の革命の導入など自由化政策の採用が条件とされている。就任したばかりのインディラはその受け入れを決断する。

     

     この政策転換は党内左派からの激しい反発のみならず、世論の不評も買う。迎えた67年の総選挙で、会議派は国政では何とか過半数を維持したものの、地方では主要15州のうち8州で政権を失うという大敗に終わる。シンジケートも多数落選している。新政権は、この選挙結果を受けて、経済路線を再び左傾化させる。

     

     しかし、この転換はアメリカとの関係を悪くする。ジョン・F・ケネディ大統領は、相談役のジョン・K・ガルブレイスを駐印大使に任命するなどインドに友好的だったが、後任のリンドン・ジョンソン大統領は距離をとる。米国が印パ関係の悪化を理由に米国が援助を打ち切ると、その影響下にある世銀も支援額を減らす。そこで、インディラはソ連に接近していく。

     

     67年選挙の結果はインディラ自身には好機に映る。彼女はことあるごとに何かとうるさい長老連中を一掃することを決意する。手始めに、シンジケートを無視して、組閣を自前で行う。以後、インディラとシンジケートの関係は日増しに険悪化していく。シンジケートにすれば、インディラは知名度はあっても政治力が弱いから傀儡にできると思っていたのだが、政治勘のいい彼女はその誰よりも上手だということが明らかになる。

     

     党の役職を選ぶ選挙を停止し、自らの任命制に変更する。また、中央の言うことを聞かない自立的な地方権力者が育たないために、州首相に政治力の弱い人物を意図的に配置している。会議派ではインディラへの忠誠心こそが何よりも決定力を持つようになる。

     

     けれども、インディラのリーダーシップは、中長期的に見ると、その望み通りと言うよりは、地方での会議派自体の影響力の衰退を招いている。

     

     組織では、金もさることながら、人事権を握った者が強い。シンジケートが談合で人事を決めていたのに対し、インディラはトップ・リーダーが人事権を握るように制度変更している。しかし、いずれも極端で、人事のより開かれた民主的手続きへと構築し直すことが望ましいはずである。

     

     会議派州政権に政治力の弱い指導者が就いたせいで、逆に権力闘争が激化している。どんぐりの背比べのような政治家たちが、「あいつが首相になれるなら、俺だっていいはずだ」とばかりに、ポストをめぐる激しい合戦を展開する。調停者としてのインディラの党内基盤は強化されるものの、激烈な抗争により州政府の統治能力が低下している。

     

     また、中央政府は大統領直轄統治を利用して非会議派政権を頻繁に解任させる。これにより地域主義を潰し、中央集権制の強化を図り、10年ほどは成功する。しかし、80年代に入ると、それへの反発が高まり、地域主義に基づく地方政党が登場、州の会議派政権のみならず、中央の会議派支配まで脅かすようになる。

     

     日本の政界では、実力者が権力基盤を強化するために、しばしば「神輿は軽い方がいい」と政治力の弱い指導者を祭り上げたり、イエスマンを要職に配置したりすることがある。しかっし、それは中長期的には組織の弱体化を招く。政治力の弱い人物をリーダーにしたり、要職に就けたりすることは組織の秩序を不安定化させる。人事のアナーキーさは統治能力の弱体化につながり、そこにつけこむ小物の権力闘争が激化して事態は悪循環に陥る。

     

     近年、民主党の代表にしろ、自民党の総裁にしろ、選挙をすると、候補者が乱立し、しかも粒が小さい。ポストにはそれにふさわしい政治力の人物を配置してこなかったからである。安倍晋三や野田佳彦などのような小物を首相にすることが最近の政界の混乱の一つの原因でもある。小粒が乱立するようなトップ選びの政党は統治能力が弱いと吐露しているのであり、政権を担当させるのは危険である。

     

     インディラとシンジケートの関係はもはや修復不可能なまでに悪化する。その頂点に達するのが1969年である。この年行われる大統領選挙の候補者としてシンジケートはニーラム・サンジーヴァ・レッディを擁立、それに対し、インディラもヴァラーハギリ・ヴェーンカタ・ギリを対抗馬に担ぎ出す。彼女は自分が進めた67年の自由化路線を捨て、銀行国有化を発表して左派の協力をとりつけ、抗争は党内左右の派閥対立に発展する。同年末、両派は決別し、会議派大分裂に至る。その結果、インディラ政権は議席の過半数を失い、少数与党へと転落する。

     

     このままでは政権運営がままならない。理念が違うので、数合わせのために他党を与党に引き入れることもできない。けれども、総選挙で事態を打開しようにも、右派が去ったために、地方の地主の協力が得られず、集票力が大幅に低下している。八方塞だ。

     

     しかし、インディラは、71年、1年前倒しして総選挙に打って出る。そのスローガンは「貧困追放」である。

     

     インドには膨大な貧困層の有権者がいる。地方組織に頼らなくても、そうした人々に直接訴えれば選挙に勝てる。インディラは大キャンペーンを張り、かつてない規模の遊説を展開する。その際、インディラは、シンジケートを保守反動の抵抗勢力と糾弾し、インド人民を救えるのは自分だけだと熱弁をふるう。この真にわかりやすい二項対立が功を奏し、インディラ派は圧勝する。

     

     コンセンサスの政治を打破するため、二項対立の図式をつくって仮想敵を攻撃し、有権者に直接訴えて広範囲に支持を獲得、権力基盤を強化してトップダウン政治を実現する。こうしたインディラの手法は、その後、多くの政治家が採り入れている。マーガレット・サッチャーや小泉純一郎などはそういった例である。

     

     総選挙後、インディラ政権は社会主義的色彩の濃い政策を実施する。ただ、輸入代替の限界が綺羅化になり、途上国政府が輸出志向へと政策転換していく中で、統制下を勧めては工業部門の失敗は目に見えている。しかし、農業部門では、農地改革の実施や緑の革命の導入のため、70年代後半に食糧自給がほぼ達成される。

     

     インディラ政権は概して強権的で、民主的制度を一時期停止したことさえある。77年の総選挙では敗北し、初めて会議派を下野さてしまう。80年の総選挙で、対抗勢力が分裂したおかげで、政権に返り咲く。インディラが最初に首相に就任して以来、インド政界の主要な対立は「親インディラか、反インディラか」というものである。

     

     奇妙な偶然であるが、今度もインディラが最初に直面したのは国際機関への経済支援である。国際収支の赤字によりIMFに融資を要請し、その条件である自由化を呑む。ただ、前回の経験を踏まえ、その速度を漸進的にする。彼女も成長している。

     

     しかし、変わらぬ点もある。80年代に入ると、地域主義が勃興する。中には過激な主張や手段に訴える勢力も登場する。インディラはこうした動きに強硬策をとる。846月、シク教徒の分離主義運動をインド軍が軍事的に制圧し、シク教の整地黄金寺院もその攻撃で破壊される。彼女への反発は彼らの間で強まる。19841031日、インディラ・ガンディーはシク教徒の警護警察官によって暗殺される。

     

     8411月のある日、東京に住む佐藤清文という18歳の少年に父親からの手紙が届く。達筆な母と違い、筆まめでもない父がどうしたんだろうと封を開けると、白い便箋数枚に亘ってその年インドで起きた一連の出来事への憤りが記されている。

     

     あのようなことは法治国家であってはならない。昔は徳治主義の社会だ。有徳者が治めているのだから批判はけしからん。反対意見へも攻撃的になる。一方、法治主義はルールを守ってするなら、権力者への批判もできる。相手の意見を尊重しながら、自分も主張するものだ。暴力は新たな暴力を生み出す。力に頼る解決は見せかけでしかない。事態をかえって複雑にしてしまう。本当に政治に必要なのは知恵と粘り強さだ。─そんなことが筆圧の強い、小さくまとまった字でつづられている。

     

     この一通を除いて、佐藤清文が父から手紙を受け取ったことはない。彼は今もその言葉を肝に銘じている

    〈了〉

    参照文献

    堀本武功他、『現代南アジアの政治』、放送大学教育振興会、2012

     


    PR

    calendar

    S M T W T F S
     123456
    78910111213
    14151617181920
    21222324252627
    282930    
    << April 2019 >>

    吉本隆明論

    吉本隆明論

    アンビエントナリッジ

    selected entries

    categories

    archives

    recent comment

    recommend

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode

    powered

    無料ブログ作成サービス JUGEM