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  • 2012.12.22 Saturday

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    また逢う日まで

    • 2012.06.04 Monday
    • 07:40
     

    また逢う日まで

    Seibun Satow

    Jun, 03. 2012

     

    「歌という限られた枠の中に、映画一本分くらいの内容を詰め込もうと思っていたし、常に世間を裏切ってやろうと考えて作詞してきましたね」。

    阿久悠

     

     口から発せられる音には、大きく二種類があります。唇や舌、歯などを使った口の前方で作る音と喉や口蓋など口の後方で作るものです。日本語のポップ・ミュージックの歌詞では、歌い出しの音は前者が多数派です。

     

     歌い出しは声が出にくいものです。後方で作る音であれば、息を出せばよいので、発声しやすくなります。「あなた」から始まる曲が多い一つの理由です。

     

     一方、口の前方で作る音は子音がほとんどです。母音は明瞭で大きな音ですが、音色が限定的です。それに対し、子音は音を作りにくいため、短く弱い音になる反面、多彩な音色を生み出せます。声を発しにくい歌い出しに子音を持ってくるのは歌手への負担が大きくなります。

     

     それでも後方で作る音を歌い出しにあえて配置する場合があります。歌のドラマの主人公が強い意志を持っている設定の時です。主人公の強固な意志を前面に押し出す際に、口の前方で作る音を歌い出しに持ってくるのです。

     

     2012531日に亡くなった尾崎紀世彦の『また逢う日まで』はこうした曲の代表例です。この1971年のミリオンセラーは、歌い出しのみならず、前方で作る音が非常に効果的に使われています。

     

     諸般の事情により引用は差し控えます。小節の始めは前方で作る音が多数を占めています。「ま」や「わ」、「な」、「ふ」、「そ」、「た」などはいずれも前方の音です。歌の主人公は強い意志を持ってこの別れに臨んでいます。それが繰り返し強調されているのです。注目すべきは「話したくない」です。「は」は後方で作る音ですが、「なした」は前方での音です。前方で作る音の部分で、抑えていた感情が爆発するように歌われます。歌詞の内容と音の効果が共鳴しているのです。阿久悠によるこの歌詞は傑作だと言わねばなりません。

     

     他に、尾崎紀世彦の解釈によって、この歌詞の意味が曲の上で強められているところもあります。サビの「ふたりで」は口の前方で作る音が連続しています。ところが、尾崎紀世彦はここを「ふったりで」と発音しているのです。前方で作る音と後方のそれとを交互に配置すると、リズミカルになります。また、前方の音が連続すると、早口に聞こえます。逆に、後方が続くと、キレが悪く、間延びした感じになります。つまった音にすることで、主人公がふたりはもうなめらかな関係ではないと強く意識し、決意に間違いがないと心に言い聞かせている印象を感じさせるのです。

     

     メロディやテンポ、間の取り方、歌い方によっても、歌詞の音の配列の印象を変えることができます。意図的に、『また逢う日まで』と逆に、歌詞上にある音を出さないことで、自ら効果を生み出す歌手もいます。

     

    メロディやリズム、テンポ、間の取り方、歌い方などによっても、歌詞の音の配列の印象を変えることができます。意図的に、『また逢う日まで』と逆に、歌詞上にある音を出さないことで、自ら効果を生み出す歌手もいます。また、日本語では表記と発音が食い違う場合があります。その際、表記通りに歌うシンガーもいます。この歌い方によって音楽界に衝撃をもたらしたのが桑田佳祐です。



     歌詞を考察する際、内容だけにとらわれるのは不十分です。歌詞はあくまで謳われることを前提に作られます。内容と関連しつつ、音の配置も考える必要があるのです。それは歌詞のリテラシーから検討することを意味します。名曲と評される作品は歌詞における内容と音の配列の関連にも感動を覚えることが少なくないのです。

    〈了

    ジェレミー・ベンサム

    • 2012.06.02 Saturday
    • 06:54
     

    ジェレミー・ベンサム

    Seibun Satow

    Jun, 01. 2012

     

    “Buy a big bright green pleasure machine!

     You better hurry up and order one”.

    Simon & Garfunkel “The Big Bright Green Pleasure Machine

     

    1章 幸福の計算

     201111月のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王の来日により、日本でもブータンが提唱する「国民総幸福量(GNH: Gross National Happiness)」が注目されている。これは、1972年、ブータン国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク「国民全体の幸福度」として提唱する。物質的ではなく、精神的な豊かさ、すなわち幸福を目指すべきである。この考えを受け、現在、同国政府はGNHの増加を政策の中心としている。

     

     社会における幸福の総量を計算するアイデアは、これまでしばしば嘲笑の的になっている。それは一種の費用・便益分析であり、直観的には同意できても、主観的領域に属するものを社会的共有に適用する説明に説得力を持たせることが難しい。

     

     幸福の計算を提案した歴史上最も有名な思想家はジェレミー・ベンサム(1748-1832)である。人間は快楽を求め、苦痛を避ける。意識していなくても、そうしている。JBは『道徳および立法の諸原理序説』(1780)においてそれを「功利性の原理(The Principle of Utility)」と呼んでいる。「行為がもたらす利益が人々の幸福を増大させるか減少させるかによって、その行為を是認したり否認したりする原理」である。功利性は、個人に快楽、利益、便益、善、幸福等をもたらし。苦痛や危害、害悪、不幸などを防ぐものである。ただ、わかりくいこともあり、快楽=苦痛の考えを保持しつつ、次第にJBは「幸福(Hpppiness)」を功利性とほほ同様の意味で用いている。

     

     すべての個人の行動は快楽と苦痛の量的比較の「幸福の計算」に従っている。JBは、ある行為によって快楽=苦痛がどれだけ得られるかを決める要因として、「強さ」、「持続性」、「確実性」、「実現時期の近さ」、「多産性」、「純粋性」、「範囲」の七つを挙げている。その上で、彼は個人の幸福と社会のそれとを結びつける。特定の個人の幸福が社会のそれと同じとは限らない。けれども、社会の幸福が個人からと独立しているわけではない。「社会の利益を社会の構成メンバーの利益の総計」である。ある個人の快楽の合計を増大させ、苦痛を減少させるとき、そのことは功利性の原理に適っている。社会は個人の総計である。個人の快苦を演算できれば、社会のそれも可能である。社会の行動を評価する目的のため、個々人のそれを合計することができ、「最大多数の最大幸福(The Greatest Happiness of the Greatest Number)」の基準によって判断され得る。ある政策が個人の快楽の総量を増大させ、苦痛を減少させるなら、その人の利益に役立つ。

     

     個人の利益が計算できれば、社会のそれも導き出せる。JBは、この快苦の演算は次の七つのステップを踏むアルゴリズムとして提示する。

     

    ステップ1

    直接の利害関係者にその行為が最初に生み出す快苦の価値。

    ステップ2

    その後に生み出される快苦の価値。

    ステップ3

    快苦の合計。

    ステップ4

    利害関係者の人数を計算に入れて、以上のステップを反復。

    ステップ5

    その行為が全体としてよい傾向である各個人に関して、それが持つ強さの程度を示す人数分を計算。

    ステップ6

    その行為が全体として悪い傾向である各個人に関して、それが持つ強さの程度を示す人数分を計算。

    ステップ7

    ステップ56の数値を演算。快が多ければ、その行為は一般的によい傾向があり、苦が多ければ、その逆。

     

     近代において、各個人は自由で平等、独立している。移動や就労の自由が認められ、見ず知らずの人と出会う機会が格段に増えている。こうしたアトム的状況における社会的共有を見出す必要がある。そこでJBは新たな社会的共通基盤として快苦に基づく功利を示す。自由で平等、独立した個人なのだから、高尚であれ、低俗であれ、快楽という点では同じである。また、個人の快苦の総計は社会のそれとして考えることができる。JBはポストモダン的状況を先取りしているとも言える。

     

     JBの功利主義は、その後、社会における共通理解として認知されている。政治や経済、法律、道徳などその及ぶ範囲は非常に広い。日本国憲法13条にもその影響が見られる。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。第二次世界大戦後に世界的に主流の国家観となった福祉国家は功利主義なくしてあり得ない。

     

     また、社会を快苦の演算システムと捉える見方は今日の情報化社会そのものだという考えもある。ITの進展によりJBの夢見た世界が実現しつつあるというわけだ。コンピュータの使用領域を広げていくには、いかにして計算可能性を拡大するかが情報科学者にとっての課題である。社会環境は計算論的に把握される。ビッグデータを収集・分析して利活用し、個人及び社会の幸福を増算させ、不幸を減算させる。その意味では、意識していなくとも、現代人の大半が功利主義者ということになる。

     

     他方、JBが現代管理社会や全体主義の源泉の一つとして糾弾されることもある。ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』(1975)によるJBのパノプティコン批判がその代表であろう。JBは、1791年、刑務所を始めとする施設の合理的な建築として一覧監視システム「パノプティコン」を提案している。中心に監視塔があり、数階建ての半円形の建物がそれを取り囲み、蜂の巣上に監房が配置されている。少数の刑務官で全収容者を監視できる。しかも、収容者はいつ見られているかわからない。フーコーは、18世紀末から始まる近代社会の統治原理の象徴としてこのパノプティコンを批判する。パノプティコンは視線による統治の技法である。徳や本姓、人格などではなく、空間的配置を通じて人々を支配する。これが現代の少数者による多数者監視の典型的な手法だ。ただ、フーコーにとってJBは仮想敵であって、真の対象はこうした時代風潮である。

     

     けれども、そうしたJBへの批判には飛躍がある。キリスト教が引き起こした数々の残忍な惨劇をイエスに還元するようなものだ。思想史上におけるJBの意義を理解した上で、正当に批判する必要がある。

     

     実は、現代社会における監視と自由の関係は、フーコーが指摘した当時よりも複雑である。監視が自由を制限するのではない。自由のために監視が必要とされる。現代のネットワーク社会では個人情報の流出や暴露が頻発している。こうした漏洩は個人の自由を妨げる。そのために、個人情報の管理の徹底を監視することが求められる。反面、コードによるネットワーク上の検閲の技術も発展し、監視の自動化が進んでいる。監視と自由の関係が錯綜している。

     

    2章 根拠を問う

     野崎昭弘大妻女子大学名誉教授は、『不完全性定理』(1996)において、古代ギリシャの数学史に言及して、数学者を三つのタイプに分類している。

     

     第一は、「根拠を問う」数学者である。新たな問題を設定し、権威によって結論づけるのではなく、根拠を問い、合理的な説明を試みる。その代表例がタレスである。

     

     第二は「理想化する」数学者である。問題を問いつめ、理想化していく過程で、それが秘める可能性や課題を明らかにする。鋭い批判で議論をブラッシュアップするが、しばしば生産性を欠く。一例がゼノンである。

     

     第三は「体系化する」数学者である。問題を共通基盤にして、さまざまな成果を関係づけ、体系に仕上げていく。ユークリッドが好例であろう。

     

     野崎名誉教授は、古典時代以降の数学史、特に集合論の創成期において、この三類型を数学者に当てはめ、こうした比較は思想史にも適用できよう。JBは、このうち、第一のタイプ、すなわち「根拠を問う」思想家である。伝統的支配の社会において「最大多数の最大幸福」は革命的である。JBの主張が正しいか誤っているかはたいしたことではない。新しい問題設定をしたことが重要である。「最大多数の最大幸福」は、もともとは近代刑罰論の父とも呼ばれるチェーザレ・ベッカリーアの言葉で、一握りの人人だけが幸福であってはならないという主張である。JBの貢献は、幸福を増大し、不幸を減少させることを社会の根拠として取り上げ、その問題を要約するフレーズと謳ったことである。幸福を社会的に共有するにしても、もはや教会の与えるそれでは近代に適していない。そうした時代において、「最大多数の最大幸福」はまさに最適である。

     

     英国の知的シーンはこうした桁外れに風変わりで、エキセントリックな人物を輩出する伝統がある。しかし、JBは、その中でも、とびぬけた奇人である。何しろ、21歳の時に、死後、解剖学の進歩のためにと自らの遺体をミイラにする遺言を記している。

     

     JBの立てた問題設定によって議論が始まる。拡張・修正・補完・批判・復活といった豊かな考察が生まれ、体系が構築されている。ジョン・スチュアート・ミルは、JBを受け継ぎながらも、量から質へと幸福の議論を変換させ、最初の功利主義の理論体系を構築している。また、法曹関係者はJBの幸福の計算を歓迎する。自然権の教義にとって代わる思想を提供したからである。さらに、行政は、「最大多数の最大幸福」を基本原理として、政策を立案していく。

     

     JB自身も「根拠を問う」だけでなく、「理想化する」や「体系化する」思想家としても振る舞おうといしている。見知らぬ自由で平等、独立した個人が共存する社会における功利性の観点から政治や経済、法律、道徳などの全般的変革に関する具体案を提言する。時事的な課題に社会工学的に功利主義で対処するその姿は、ジャーナリズムとエンジニアリングの現代を先取りしている。

     

     JBは壮大で綿密な法制度改正を計画する。それは裁判所・刑務所・病院・学校などの行政改革にとどまらない。管理や監視は見知らぬ人が共存せざるを得ない近代の条件から強化される。パノプティコンの建築デザインに、裁判官・刑務所所長・医師・教員のタイム・スケジュールや待遇など広範囲に及ぶ。救貧法や工場法の制定、警察組織の改善などにとりくんだ際、機構編成の計画のみならず、その実施に伴う行政上の措置に関する明細書も作成している。彼以前にそうした企てを体系的に行った人物はおらず、その意味で、行政学の父と呼べるだろう。

     

     一連のアイデアは書物によって知識人層に浸透したわけではない。書簡やパンフレット、ノート、メモなどを閲覧した少数のフォロワーや社会的リーダーが実現に移している。JBは相続財産で暮らし、後半生、家に引きこもり、人との接触も抑えがちな隠遁者である。アイデアが浮かぶと、すぐにメモをとり、それをカーテンにピンでとめる。鉄のカーテンならぬメモのカーテンである。出版によらず、狭い交友を通じてプランを広めた非常に稀な思想家である。JB19世紀前半の英国における行政改革への影響は絶大である。熱狂的な信奉者が民法・刑法などの新たな制度設計を試みている。さらに、選挙法改正や教育法、工場法、新救貧法などにもJBの英国慣習法改革のアイデアが見られる。

     

     もっとも、採用されたのはJBの膨大なプランのほんの一部にすぎない。大部分は、時代に対してあまりにも進みすぎているか、同時代の波長と合わないかのいずれかである。死刑制度廃止や同性愛者の権利擁護なども訴えている。また、ラテン・アメリカ諸国のための憲法に関する論考も著わしている。しかも、彼はつねに進化しており、主張が変遷を重ねている。例えば、経済に関する意見には古典派から限界効用、ケインズ主義まで含まれている。デヴィッド・リカードゥとロバート・マルサスが論争している時代に、ミクロ経済学・マクロ経済学を述べたところで、世間がついていけるはずもない。示唆を受けたとされる経済学者を列挙してみても、リカードゥやジェイムズ・ミル、ジョン・スチュアート・ミル、フランシス・イシドロ・エッジワース、ロバート・オーウェン、ウィリアム・ジェヴォンズなどとっちらかっている。

     

     JBはインパクトのある問題設定能力によって同時代や後世に影響を与えている。多くのアイデアやプランも提示したが、それらは支持者や追随者にとって刺激的なモデル・ケースである。快楽を増大し、苦痛を減少することで幸福を得ようとする。「最大多数撃鵜の最大幸福」というシンプルで、誰にとってもわかりやすい社会の根拠の説明は非常に汎用性が高い。強さ、持続性、確実性、実現時期の近さ、多産性、純粋性、範囲という功利の条件を満たしている。

     

     JBの功利主義は。自由で平等、独立した個人という近代の理念に基づく社会の根拠を問う中から生まれている。それに対する批判は、新たな問題設定の提示によって初めて抜本的になる。その際、新しい時代の理念が必要である。功利主義は人間中心主義であり、生物多様性をめぐる倫理を提供しえないという批判もあるだろう。将来、克服される時が来るかもしれない。ただ、社会を快苦の計算システムと捉える大胆な発想はおそらく永久にラディカルである。「われわれの生きる時代は忙しい時代である」(ジェレミー・ベンサム『統治論断片』)

     

     311以降、幸福の増算もさることながら、不幸の減算が現代日本において重要な政治的・経済的・社会的課題であることが周知のこととなっている。ブータン国王の来日に、人々が歓迎を大いに示したのは幸福を社会の共通理解とすることの意義を痛感したからである。菅直人前首相は「最小不幸社会」を自らの内閣の理念として掲げたが、これは現代の政治では常識であって、改めて表明すべきではない。しかし、その後に誕生した政権は幸福や不幸を政治として向き合うことさえ放棄している。現首相は社会的共通基盤としての功利を理解していない。フクシマの不幸はもっと減少できなかったのかと解明が進んでいる調査を参考にする気がなく、なかったことにしたいようだ。

     

     フクシマを始め311はちょっとした苦痛ではない。取り返しのつかない不幸である。それを共有しないで、よりよい社会の建設はあり得ない。311は災害による直接的な犠牲者のみならず、避難に伴う関連死亡者、さらに餓死者や自殺者など万単位の「人命」が失われている。この状況を前に、別の政治課題で「政治生命」賭けると口にする人物が首相というのは幸福とはとても言えない。

    〈了〉

    参照文献

    大河内一男編、『世界の名著49』、中公バックス、1979

    大越義久、『刑罰論序説』、有斐閣、2008

    高坂健次、『幸福の社会理論』、放送大学教育振興会、2008

    土屋恵一郎、『怪物JB 快楽主義者の予言した社会』、講談社学術文庫、2012

    永井義雄、『人類の知的遺産44』、講談社、1982

    野崎昭弘、『不完全性定理』、ちくま学芸文庫、2006

    ミシェル・フーコー、『監獄の誕生』、田村俶訳、新潮社、1977

    マーク・クローグ、『ケインズ以前の100大経済学者』、中矢俊博訳、同文館、1989


    村上龍 コインロッカーベイビーズ

    • 2012.03.23 Friday
    • 23:39
     

    Ryu’s Eyes

    Seibun Satow

    Mar, 23. 2012

     

    「だからワープロで打つと、文体もきっと変わってくると思うんだ。これからのワープロは、シーン何番、緊急事態、主人公ABの感情の系列はこうでと、全部インプットしてあれば、言葉が何百種類もバーッと出ると思うんだ。それを選ぶのは酔っぱらっていてもできるからね」。

    村上龍『EV. Café

     

     村上龍の眼は同時代をつねに見つめている。彼ほど時代の波を捉えるのがうまい作家はいない。作品で扱ったテーマを眺めるだけで、発表された当時、マスメディア上で話題になった風潮や事件、出来事がよくわかる。同時代的ニュースを素材にして、センセーショナリズムとエンターテインメント性を織りこんだ作品に仕上げる。デビューから今に至るまで変わらない彼の傾向である。

     

     けれども、それぞれの時代を考える際に、村上龍の作品に言及されることは稀である。出来が悪いわけではない。数々の文学賞を受賞しているように、同時代の中で読まれた場合、彼の作品は非常に訴える力がある。ところが、そこから離れると、魅力が失われる。村上龍は作者と読者が共有する同時代の空気を自明視している。時代によりかかっているとも言える。時代と向き合い、作品を通じて、それを何かと問いつめはしない。時代の表象を取り扱ってはいるが、その本質を浮き彫りにしていない。作品が当時の社会の持つ固有さの一端を具現していないため、時代と共に振り返られることがない。

     

     『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)は村上龍の作家としての特徴がよく出た作品である。「コインロッカー・ベイビー」と尋ねられて、それが何かと答えられる40代より若い人は少ないだろう。1973年前後、大都市のコインロッカーに乳児の遺体が放置される事件が相次ぐ。21世紀に入ってからも何件か起きているが、この時期にほぼ集中している。その理由の一つに報道の影響が挙げられる。そういう遺体の処理法があるとニュースで知って模倣したケースが少なからず見られる。コインロッカー・ベイビー事件はその時代ならではのニュースだ。『コインロッカー・ベイビーズ』はコインロッカーに遺棄された孤児のその後の物語である。

     

     コインロッカーを母胎と見立てるなど成長したコインロッカー・ベイビーズの心理や認知が描かれているものの、それを生み出した時代に関する洞察はない。コインロッカー・ベイビー事件は時代との結びつきが強い。言わば、時代の産物である。ところが、作者そんな事件が起きた時代とすませている。

     

     戦後しばらく実子殺しで最も多かったのが嬰児殺しである。戦後すぐの頃の被害者数は300人もいたが、1977年には187人、80年代より下げ止まり、2004年になると24人にまで減少している。かつて殺人事件の97%が一年以内に解決していたけれども、少数未解決の大半がこの嬰児殺しである。遺棄された嬰児の遺体が発見されて事件と認知されたものの、犯人が特定できなかったという顛末だ。当時の嬰児殺しの動機は、不義・不倫で出産したことで世間体が悪くなる、あるいは社会的に非難されるからである。経済的理由は少数でしかない。これは加害者に祖母が含まれている事案があることからも裏付けられる。世間体の圧力は今日とは比べものにならないほど強い。と同時に、子どもの命が軽い。

     

     嬰児殺しは、その後も、未婚のまま、家庭が築かれていない状態で生まれた子どもが犠牲になるケースが多い。70年代に現われたコインロッカーへの乳児の遺体放置は、その場所を除けば、それまでの嬰児殺しの延長線上にある。処理に困って手近なところに捨てたのが実情だろう。80年代からの社会風潮の変化などを背景に、嬰児殺しは下げ止まる。コインロッカー・ベイビー事件はこの直前の現象であり、時代を考える一つの素材となり得る。

     

     主人公を等身大の設定にしていたら、DVや虐待などにより親から離れて暮らさざるを得ない子どもたちをめぐる諸問題が明らかになっている今日につながる作品として、『コインロッカー・ベイビーズ』は位置づけられていたかもしれない。有吉佐和子の『恍惚の人』が高齢者開祖を扱った先見的作品として取り上げられる。そういった作品にもなり得たが、村上龍はそんな気がない。彼の作品は、全般的に、悲観的な装いをしていても、破壊=再生の自由放任的な楽観性がある。ところが、破壊は、往々にして、互換性を欠いた再生と名乗る新たな課題を招く。日常生活では、互換性を維持したまま、調整によって修正していく策がとられる。村上龍には、そのため、『恍惚の人』のようなその後につながる作品を書き得ない。

     

      時代の表象を捉えることには鋭敏だが、その本質を認識するまでには至らない。これが村上龍の文学である。

     

     柄谷行人は、『同一性と差異性について』(1977)において、第二作目の『海の向こうで戦争が始まる』を例に、村上龍の想像力について次のように述べている。

     

     「海の向こうで戦争が始まる」は、この作家の想像力の根がどこにあるかを、第一作よりも明白に告げている。例えば、基地の町では、戦争は、「海の向こう」であっても、動物が天変地異を察知するような鋭敏さで感受される。それは反戦的でも好戦的でもない、一つの「気分」であって、この作者の戦争への幻覚にはなにかふつうの作家とは異質な感受性がある。

     

     村上龍は時代の波の到来に鋭敏である。しかし、それが何であり、なんであり得る家には興味がない。今はこういう状況だと認知できても、なぜそうなのかという問いがない。村上龍の議論は、そのため、しばしば話題性に傾斜したステロタイプなジャーナリズムにとどまってしまう。本質は他のものとの比較によって見えてくる。村上龍はある事件や出来事を描こうとする際、そのものについてはよく調査・取材している。けれども、比較、すなわち通時的・共時的相対化が弱い。コインロッカー・ベイビー事件も、戦後の嬰児殺しの歴史と照らし合わせると、時代の本質の一端が見えてくる。

     

     今の若手・中堅の作家にも、その本質は不問のまま、時代の波を捉えることに熱心なものも少なくない。エンターテインメント系は言うに及ばず、阿部和重や平野啓一郎なども含まれるだろう。けれども、彼らは、時代の「気分」への鋭敏さ点で、村上龍に遠く及ばない。

     

     村上龍は社会的問題に積極的に取り組んできた作家である。同時代の事件や出来事を作品に取りこむだけでも、タフな仕事だ。大いに評価できる。けれども、それが社会化したことへの洞察が弱い。その事象が時代とどう結びついているのかが作品から伝わらない。その絵に描かれた龍に眼がない。彼以後の作家に望まれるのは龍に瞳を描き入れることだ。

    〈了〉

    参照文献

    柄谷行人、『反文学論』、講談社学術文庫、1991

    河合幹雄、『日本の殺人』、ちくま新書、2009

    村上龍=坂本龍一、『EV. Café』、講談社文庫、1989

    村上龍、『新装版 コインロッカー・ベイビーズ』、講談社文庫、2009





    パチンコ屋の吉本隆明

    • 2012.03.18 Sunday
    • 17:10
     

    パチンコ屋の吉本隆明

    Seibun Satow

    Mar, 18. 2012

     

    「死は悲しみではなく、醜悪だ」。

    吉本隆明

     

     19563月、「戦争責任」論で一躍脚光を浴びた吉本隆明が東洋インキ株式会社からの退職を余儀なくされる。526月に同社の青砥工場に就職し、翌年の4月に同労働組合委員長に就任する。この組合運動のため、吉本は社内にとどまるのがつらくなってしまう。571月、彼の母校の東京工業大学の遠山啓教授の紹介により、長井・江崎特許事務所に就職、70年に希望退職するまで勤務している。

     

     この失職の間、吉本はパチンコ屋にあるスマート・ボールで稼いだ景品を売って生計を立てている。プロのギャンブラーというわけだ。おそらく近代日本の思想家でこうした経歴の人物は唯一だろう。

     

     スマート・ボールは、パチスロが普及する前に、パチンコ屋に置かれていた遊技機である。パチンコ台の形状が垂直方向に長い縦型であるのに対し、スマート・ボールは、ピンボールに似て水平方向への横型で、「横モノ」とも呼ばれている。以下ではスマート・ボールに対して「ギャンブル」を使うが、法的規定と違うなどと目くじらを立ててはいけない。

     

     賭博依存症の心理小説、あるいは賭博を題材にした教養小説は少なからず見られる。前者の代表はフョードル・ドストエフスキーの『賭博者』、後者なら阿佐田哲也の『麻雀放浪記』になるだろう。ギャンブルは、もしかしたら儲かるかもしれないという願望につけこんだり、心理的な駆け引きもあったりするので、内面描写と相性がいい。こうした作品の特徴はギャンブル自体が目的であり、その身体知が形式化されることはない。

     

     一方、吉本にとってギャンブルは生計を立てるための手段である。確実に利益を日常的に上げるためには、その暗黙知を可能な限り明示知とする必要がある。吉本はギャンブルを身体性から認識する。ギャンブルで成功するには、日々の努力によるイノベーションを行い、自らをアスリートに仕上げなければならない。「プロとなるためには、よく睡眠をとって疲労をさけ、できれば手の筋肉や足腰を鍛え、開店と同時に、す早く必ずその店で儲かる台の前に座る」。吉本は、合理的に臨み、ギャンブルにロマンティックな感情など抱いていない。

     

     吉本はスマート・ボールで絶対に損をしない四つの秘訣を挙げている。

     

    (1) スマート・ボールは玉突きのようにスムーズな押しをするとき入る確率が最大である。

    (2) 打ち方が一定であるかぎり、一軒の店で必ず儲かる台は、幾台かに限定される。

    (3) 玉が入らなくなるのは、べつに憑きが落ちたのではなく、手の筋肉が疲れて打ちが狂ったのだから、すぐに決断してやめる。

    (4) 自分の打ち方で、必ず儲かる台が、他人に占められていたら、その店を出る。

     

     得ではなく、損をしない秘策という点に注意が要る、失敗には必ず必然的理由がある。それらをできる限り排除し、リスクを軽減する。失敗を回避することで、成功へと導かれる。成功に奥儀はない。身体知を徹底的に形式知へと顕在化させ、ギャンブルのリテラシーを構築する。それはマシーンと自分とのインターフェースから捉えるギャンブル・エンジニアリングである。この認識は文学者の中では稀有だと言ってよい。

     

     ギャンブラーはアスリートでなければならない。そんな発想の作品は、めったにお目にかからない。映画『ハスラー2』に若干そうした要素が組みこまれていたが、日本の表現においては、映画化もされたマンガ『カイジ』が示しているように、相変わらずギャンブルがオラリティとしてのみ扱われている。

     

     残念ながら、吉本の作品には、概して、こうしたエンジニアリングの発想が見られない。むしろ、情緒的でさえある。

     

     吉本は、結局、スマート・ボールのプロの道へは進まない。「その最大の障害になったのは、技術的なことではなく、じつに、開店と同時に、その店で必ず儲かる台を占領するという行為がたび重なると、気恥ずかしくて」だったからだ。

     

     エンジニアリングの発想を気恥ずさが上回ってしまう。吉本にはそれを持ち続けたままで思想活動をする選択肢はなかったというわけだ。その後、「戦争責任」論で見せた鋭さは後退し、吉本の思想は著しく主観性が強いものにとどまっている。プロよりもアマの考え方に意義を見出そうとするが、それはアイロニーにすぎない。彼の愛する横丁の豆腐屋も、実は、豆腐製造のプロである。その認識を思想にすることを吉本にはできたはずだ。吉本の継承は流行した思想をいかに今後に生かしていくかだけではない。彼の断念の中に可能性を見出すことでもある。

    〈了〉

    参照文献

    吉田秀明、『吉本隆明』、現代書館、1985

    佐藤清文、『吉本隆明試論』、2010

    http://p.booklog.jp/book/9343/chapter/13176


    JUGEMテーマ:原発

     

    リテラシーS紳士録 掃除のリテラシー 村上キクエ x 佐藤清文

    • 2011.12.30 Friday
    • 10:50
     

    掃除のリテラシー

    Seibun Satow

    Dec, 29. 2011

     

    「柱ではなく土台になりなさいって、教わったの」。

    村上キクエ

     

     リテラシーはあらゆる領域に存在する。掃除も例外ではない。

     

     事件が起きたのは20111228日のベツレヘムの聖誕教会の前においてである。ここはパレスチナ自治区にあり、イエス・キリスト生誕の地に建つとされている。キリスト教徒にとって最も権威ある聖地の一つで、ギリシャ正教・アルメニア正教・カトリックの3派が区画を厳密に分けて管理している。そこで100人に及ぶ聖職者たちが乱闘を繰り広げている。

     

     原因は掃除だ。

     

     この日、異なる宗派の神父や修道士らがブラシを使って床の大掃除を始める。今週、世界中から巡礼者が訪れ、恒例のクリスマス・ミサが行われている。彼らは愛や寛容の教えを説いている。多くの人が訪れれば、その後には掃除も必要である。

     

     ところが、掃除が進むにつれ、互いに自分たちの区画に無断で入ったと主張し始める。もみ合いになり、とうとう100人程の聖職者が靴やブラシを投げ合うなどの騒ぎに発展する。警戒にあたっていたパレスチナの警察が割って入り、怪我人が出る前に収めている。この当事者はかつての日本の僧兵でもないので、当局は誰も逮捕しない穏便な措置をとっている。

     

     このニュースで思い出されるのが、森毅が『家の内と外』で紹介する京都の掃除の心構えである。

     

     京都の人に聞いた話で、感心したことがある。家の前の道を掃いたり水を打ったりするのに、自分の家の前だけをしてはいけないのだそうだ。しかし、隣の家の前を全部やっては、これはあてつけがましいし、隣の域を侵すことになる。さりげなく、自分のところだけではなく、ちょっと相手のほうもついやってしまう、その程のよさが大事なのだそうだ。(略)

     これが大阪なら、気が向いたら、自分の前も隣の前も、ついでだからと、どんどんやってしまいそうだ。そして、東京の山手なら、きっちりと自分の責任範囲だけをする人が多そうだ。

     

     掃除一つからもコミュニケーションの傾向が現われるというわけだ。京都は、周知の通り、1000年もの間、政治的駆け引きに満ち溢れた都であっただけでなく、市街戦やテロが繰り広げられた歴史を持つ。内と外の使い分けが巧みである。京都の場合、「内を確保しながら外へ開こうとする」コミュニケーションがそこに見られる。自分の領域を確かめながらも、それだけを思わず、さりとて他人のところまで侵犯しない。この塩梅を保つには気をつかい、他の人の心情を察する必要がある。

     

     聖誕教会の大人気ない騒動は掃除をコミュニケーションと理解していなかったことに起因するだろう。彼らは『マタイによる福音書』1034-35節の真の意味をわかっていないわけではない。

     

     さらに、掃除は周囲のみならず、ものとのコミュニケーションでもある。NHKの『まる得マガジン』において、お掃除名人の佐藤嘉浩ハウスクリーニング士がさまざまな掃除のリテラシーを伝授してくれる。彼の説明を見ていると、掃除が家や汚れとのコミュニケーションでもあることがわかる。同HPのプロフィールによると、「掃除をする上でもっとも大事なものは、1水、2道具、3洗剤の3つで、汚れの性質を見極め、誘目性を重視しながら効率のよい掃除法を研究し実践している」。掃除は自分の思いこみだけではうまくいかない。自らにとらわれるすぎることなく、リテラシーを身に着けようとコミュニケーションを行うことが大切である。

     

     リテラシーはたんなるノウハウではない。「内を確保しながら、外に開こうとする」コミュニケーションがもたらす共通理解である。内に固執していては教条的になるし、内も外もないと振舞っては軋轢につながる。それは掃除にも現われる。さて、これから大掃除か。

    〈了〉

    参照文献

    森毅、『たいくつの美学』、青土社、1994

    asahi.com、「避難所に『トイレの女神様』 掃除、一手に引き受けて」、2011423127分配信

    http://www.asahi.com/national/update/0423/TKY201104230095.html

    NHK、『まる得マガジン』

    http://www.nhk.or.jp/kurashi/marutoku/



     

    評価:
    森 毅
    青土社
    ---
    (1994-09)
    コメント:「京都の人に聞いた話で、感心したことがある。家の前の道を掃いたり水を打ったりするのに、自分の家の前だけをしてはいけないのだそうだ。しかし、隣の家の前を全部やっては、これはあてつけがましいし、隣の域を侵すことになる。さりげなく、自分のところだけではなく、ちょっと相手のほうもついやってしまう、その程のよさが大事なのだそうだ。」

    ウサマ・ビンラディン時代の終焉

    • 2011.12.28 Wednesday
    • 05:17
     

    ウサマ・ビンラディン時代の終焉

    Seibun Satow

    May. 03. 2011

     

    「民衆は体制転覆を望んでいる」。

    エジプト革命のスローガン

     

     201152日午前1時(パキスタン時間)、アボタバード在住のReallyVirtual(Sohaib Athar)がツイッターに次のようなつぶやきを投稿する。

     

     Helicopter hovering above Abbottabad at 1AM (is a rare event).

     (http://twitter.com/#!/reallyvirtual/status/64780730286358528)

     

     これがおそらくウサマ・ビンラディン殺害作戦を世界に最初に伝えた一報であろう。ジャーナリストでもないこの人物はその後も続けて模様を投稿している。こうした状況こそウサマ・ビンラディンがすでに過去の人であることをよく物語っている。

     

     社会には不正や矛盾が溢れており、変革が必要だ。それには手段を選んでいられないのであって、そのためには、自分が捨石になってもかまわない。けれども、特段の将来像も持たないこのエリート臭漂う英雄主義は民衆の間では説得力をすでに失っている。

     

     テロはフラストレーションのはけ口になっても、体制の変革につながらない。テロリズムの脅威は生活の安全を脅かすことではなく、それを口実に為政者が自由や民主主義を制限することにあると人々は気づいている。ウサマ・ビンラディンのようなテロリストは独裁者の圧政に手を貸しているのと同じだ。

     

     エジプトの独裁者ホスニ・ムバラクはイスラム主義者によるテロを口実に、自らの強権的な権威主義体制を国内外に正当化し続ける。ところが、いかなるテロでも転覆しなかった体制も、民衆がP2P型のネットワークに基づくデモを始めると、一月も経たないうちに崩壊する。テロからデモへ、すなわち過激派から集合知へと時代の趨勢が変わったことを世界は認識する。

     

     革命で重要な役割を演じたのは、髭を蓄えた長身のカリスマや爆弾ではなく、メガネをかけた気弱そうなコンピュータ・エンジニアのワエル・ゴニムであり、SNSである。911からの10年の間に、ウェブ2.0が到来し、ユーチューブやフェイスブック、ツイッターが登場する。コンピュータ・プログラムが世界や歴史を変える。そんな時代がすでに来ている。

     

     テロに訴えてきたムスリム同胞団の主流派も状況の変化を察知し、革命で前に出ることを避け、立憲主義や民主主義、世俗主義を受け入れ、時代離れした復古主義との決別をアピールし始める。それどころか、アルカイダのナンバー2であるアイマン・ザワヒリでさえも、政変後の2月、「エジプトの憲法は民主的だと主張しているが、実態は国民を力で抑えつけ、ごまかしの選挙をして、メディアを悪用する抑圧的な政権だ」と声明を出さざるを得ない。テロは今後も続くだろう。しかし、人心をつかめないのはもはや明らかで、少数の支持者に賞賛されるだけだ。このエジプト人自身も気づいているに違いない。

     

     ウサマ・ビンラディンは、201152日の前に、事実上死んでいたも同然である。確かに、彼を追いつめたのはアメリカを始めとする各国の関係当局者たちだろう。しかし、ウサマ・ビンラディンの時代を真に終わらせたのは人々の意識の変化であり、ウェブ2.0である。

    〈了〉

    参照文献

    asahi.com

    http://www.asahi.com/



    リテラシーS紳士録:大久保利通 佐藤清文

    • 2011.12.18 Sunday
    • 08:31
    評価:
    加来 耕三
    講談社
    ---
    (1994-10)
    コメント:10月14日は鉄道記念日である。新橋=横浜間が1872年(明治5年)のこの日に開業したのを記念して、1922年(大正11年)に制定されている。 もっとも、この路線の開通は文明開化の象徴的な出来事にすぎない。当時の実力者の大久保利通が水運を国内の運輸・交通インフラの中心と

     

    2011年の鉄道記念日

    Seibun Satow

    Oct, 14. 2011

     

    「三嶋は近年ひらけたる 豆相線のわかれみち 駅には此地の名をえたる 官幣大社の宮居あり」。

    『地理教育鉄道唱歌第一集』十六番

     

     1014日は鉄道記念日である。新橋=横浜間が1872年(明治5年)のこの日に開業したのを記念して、1922年(大正11年)に制定されている。

     

     もっとも、この路線の開通は文明開化の象徴的な出来事にすぎない。当時の実力者の大久保利通が水運を国内の運輸・交通インフラの中心と構想していたからである。

     

     海外視察の経験から、大久保は近代化における鉄道の重要性を十分に理解している。けれども、その頃の日本伊は鉄道を自前で通す能力が無いため、すべて外国資本、すなわち輸入に依存しなければならない。ただでさえ苦しい台所事情にあり、できる限り、資金の海外への流出を避けたい。しかも、機関車の点検・補修やダイヤグラムの作成・管理の経験もない。お雇い外国人にそうしたノウハウを教えてもらい、人材を海外留学させて知識・技術を習得させる必要がある。

     

     19世紀後半、鉄道は世界で最も有望な投資先である。1850年代から70年代にかけて欧米諸国の経済は、鉄道の敷設に伴い、急速な経済成長を遂げている。国内路線の整備がひと段落つくと、後進国や植民地の鉄道建設への海外投資がブームになっている。そういった国や地域には知識・技術がないので、先進国から列車を始めとして多くを輸入しなければならない。投資した資金が先進国へ還流する仕組みになっている。

     

     一方。水運であれば、船舶購入の初期投資や港湾施設等の近代化は必要であるものの、ほかはほぼ自前でできる。江戸時代以来、水運は輸送インフラの主力であり、河川や海を網羅するネットワークが整備されている。人材もそろっている。そこで、現実主義的観点から、大久保は水運を主とし、鉄道を太平洋側と日本海側を結ぶために用いる従の運輸・交通インフラと考えている。

     

     ところが、この構想は後に頓挫し、鉄道が国内の運輸・交通インフラの中心に据えられる。最大の理由は日本列島の地理的条件である。

     

     日本列島は南北に山脈が走っている。太平洋側と日本海側をつなごうとすると、この山々が行く手に立ちふさがる。敷設工事は難航する。一例を挙げよう。敦賀=長浜間の測量が始まったのが1871年(明治4年)であるが、開通したのは、実に、1884年(明治17年)のことである。大久保は、このとき、すでに世を去っている。1876年には東京=大阪間が開通しているのと比べて、あまりにも遅い。

     

     もっとも、地理的環境が日本独特の園芸文化は育んだ一因でもある。地球が気候変動しても、山々が列島を縦断しているので、植物は南北に生息地を移動できる。全滅する危険性が少ないため、植生は非常に多様になる。他方、ヨーロッパは、山脈が東西に延びているため、氷河期の際に、植物が南に逃げれず、多くが絶滅している。

     

     大航海時代が到来すると、ヨーロッパ人は海外から見たこともないさまざまな植物を本国に持ち帰る。特に、欧州の寒冷な気候でも育つ高山性の植物が好まれている。彼らは殺風景な庭園を美しさを基準にそうした植物で装飾する。イングリッシュ・ガーデンがその典型である。さらに、グリーン・ハンドたちはより美しいものを求めて交配を繰り返す。

     

     一方、日本ではもともと植生が豊富なので、植物鑑賞の基準は美ではない。変わっていることである。園芸家はより珍奇な植物を国内中で探し回る。変であればあるほどよい。オモトやナンテン、マツバランのように奇妙であること以外に何のとりえもない植物が珍重される。日本の庭園は、その結果、奇怪な植物に覆われる。見つけてくることが大切なので、日本の伝統的な園芸において、人工交配は認められない。

     

     話を鉄道に戻そう。

     

     太平洋側の都市をつなぐ路線が次々と開業する。国内輸送では鉄道の方が船舶よりも便利である。当初は国が建設していたが、西南戦争以降、財政難の事情から民間資本が参入している。今日、しばしば日本経済は伝統的に官主導だと言われるけれども、戦時期を除くと、戦前の実態は驚くほど自由放任主義である。1880年代にはもはやブームと呼べる鉄道建設ラッシュが起きている。

     

     しかし、鉄道の時代の到来は太平洋側と日本海側との間の経済格差の問題の発生でもある。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」と詠まれた日本一の大地主の本間家が山形県酒田市に居を構えていたように、かつては日本海側も有力だったけれども、20世紀には、太平洋側に経済的中心が定着している。太平洋側の港からアメリカに輸出して外貨を稼ぐ。1900年(明治33年)、全66番に及ぶ『地理教育鉄道唱歌第一集』が発表されたが、舞台となっているのは新橋=神戸間の東海道線である。列島を縦断する路線は矢継ぎ早に開通するのに、横断鉄道はなかなか進まない。鉄道網に入れば、中央とつながったことを意味する。経済成長はこのリンク次第というわけだ。星亨のような政党政治家は地元への利益還元として鉄道敷設を推し進める。その姿は「我田引鉄」と揶揄される。

     

     1947年の総選挙において、「若き血の叫び」と訴えた28歳の青年が新潟三区から当選する。この土建屋の若者は、元前の才覚とエネルギッシュな行動力により、凄まじい勢いで政界で出世していく。そのスピードは高度経済成長と重なり合う。しかし、脳裏にはいつも貧困から抜け出せない雪深い故郷の人々の姿がある。新潟が貧しいのは、東京への運輸・交通インフラが十分でないからだと固く信じ、その整備に執念を燃やし、あの忌々しい三国山脈をぶっ潰せないかと本気で考えている。太平洋側をこれほど見つめていた日本海側出身の政治家もそういない。

     

     最初の汽笛が鳴ってから一世紀経た19727月、この田中角栄が内閣総理大臣に就任、9月、日中国交正常化を果たす。戦後のほとんどの政権は太平洋の先を見ていたが、国際情勢の変化に伴い、彼は日本海を渡る。それまで背を向けていたその海の向こう側には世界で最も人口を抱えた国がある。

     

     太平洋を恋しがるだけの時代はもう過ぎ去っている。2004年、日本の対中貿易の総額が対米のそれを初めて超える。その後、一環として日本の最大の貿易相手国は中国である。

     

     中国浙江省で23日夜に起きた高速鉄道の追突・脱線事故から一夜明けた24日早朝、中国当局は、追突したとみられる車両の運転席部分を、現場に掘った穴に埋めてしまった。事故から約半日後の24日午前4時半過ぎ、現場に入った記者が一部始終を目撃した。

     夜明け前。現場では、落下した1両の車体が、一部は地面に突き刺さり、高架に寄りかかるように立っていた。わきの地面の上では、追突した後続列車とみられる先頭車両が、真っ二つになっていた。切断部分は鉄板や部品がめくれ、後ろ半分は原形をとどめていなかった。

     空が明るくなり始めた午前6時ごろ、7台のショベルカーがすぐ横の野菜畑に穴を掘り始めた。深さ45メートル、幅も約20メートルと大きい。午前7時半過ぎ、ショベルカーがアームを振り下ろし、大破した先頭車両を砕き始めた。計器が詰まっている運転席も壊した。そして残骸を、廃棄物のように穴の中に押しやってしまった。

    (奥寺淳「事故車両の運転席、当局が現場の穴に埋める」)

     

     2011年は鉄道もいろいろなことを伝えると教えてくれた年である。

    〈了〉

    参照文献

    塚谷裕一他、『植物の科学』、放送大学教育振興会、2009

    奥寺淳、「事故車両の運転席、当局が現場の穴に埋める」、asahi.com201172531分更新

    http://www.asahi.com/international/update/0725/TKY201107240595.html


    JUGEMテーマ:原発

     

    リテラシーS紳士録:大平正芳 佐藤清文

    • 2011.12.17 Saturday
    • 09:34
    評価:
    大平 正芳
    講談社
    ¥ 4,200
    (2010-03-11)
    コメント:大平は当時の塩川伸次秘書官に「記者諸君はうるさいかもしれないが、国民を代弁しているのだし民主主義のコストだから手を抜いてはいかん」とか「世の中、刻々と変化するのだから(絶えず質問されるのも)仕方ないだろう。骨は折れるが丹念に説明するようにしよう」と語ってい�

     

    総理とブレーン

    Seibun Satow

    Oct, 25. 2011

     

    「政府の基盤は人民の意見にある」。

    トマス・ジェファーソン

     

     現首相は、20111024日付『朝日新聞』の山岸一生記者の記事によると、「大平政治」を理想とし、それを目指している。彼は、『Voice201110月号への寄稿文の中で、「あれほどの英知を集めて気宇壮大な研究会を設置しようとした志の高さは、今こそ見直されるべきだ」と昭和の鈍牛を讃えている。ところが、肝心の「ブレーン」がおらず、霞ヶ関に頼っている有様である。

     

     現首相は、いわゆるぶら下がり取材を拒否しているが、大平は、首相時代、それに積極的に応じてきたことで知られている。20111017日付『岩手日報』に配信された西川孝粋共同通信特別編集委員の「一刀政断」によると、大平は当時の塩川伸次秘書官に「記者諸君はうるさいかもしれないが、国民を代弁しているのだし民主主義のコストだから手を抜いてはいかん」とか「世の中、刻々と変化するのだから(絶えず質問されるのも)仕方ないだろう。骨は折れるが丹念に説明するようにしよう」と語っている。

     

     こうした現首相の姿勢が彼の回りにブレーンが集まらない理由にほかならない。と言うのも、政権は、世論の声を汲み取り、その時々の政治的課題に向き合うためにブレーンを必要とするものだからである。

     

     吉田茂や岸信介はブレーンを持っていない。彼らは世論の声を傾聴する気などさらさらないからだ。吉田が「ワンマン」とあだ名されたことはよく知られている。また、岸は「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には『声なき声』が聞こえる」と発言、世論の怒りの火に油を注ぎ、そのサイレント・マジョリティもデモに参加し始めている。

     

     ブレーン政治の萌芽は池田勇人内閣に見られる。それは岸の「高姿勢」の反省である。官僚出身の田村敏雄や大平正芳、宮沢喜一、黒金泰美、さらに新聞記者出身の伊藤昌哉が政策立案のみならず、世論へのアピールを試みている。彼らは池田勇人改造計画を実行、メガネを銀縁、スーツをシングルに変えさせ、「寛容と忍耐」をキャッチフレーズにし、「待合もゴルフも行かない」と記者会見させている。池田はこれらを愚直に守っている。

     

     ブレーン政治は次の佐藤英作内閣から本格化する。佐藤は「『栄ちゃん』と呼ばれたい」と国民から愛されることを熱望し、テレビ出演をことのほか好んでいる。数多くのブレーンが参加、さまざまな政策の演出を繰り広げている。

     

     70年代に登場した4人の総理は、ブレーン政治に関して極端な態度を示している。党人政治家本流の田中角栄と官僚政治家本流の福田赳夫は自前で築き上げた霞が関の人脈を使用し、ブレーン政治をとっていない。田中の「日本列島改造計画」は通産官僚が中心になってまとめられている。一方、党内最左派の三木武夫と官僚政治家傍流の大平正芳はブレーンを活用している。三木は党内基盤が弱く、世論の支持が政権運営に不可欠である。また、大平は国民との相互作用が民主主義であると信じ、世論に積極的に向き合い、情報を開示、議論を深めようとする姿勢を示している。

     

     戦前からの政治家である三木は官僚嫌いで、民間の有識者との懇談を好み、その中から多くの成果が生まれている。今日では一般化した「ライフサイクル・プラン」という概念もその一つである。三木のブレーンは「政策構想フォーラム」を結成し、さまざまな報告書を提言している。この参加者が後に大平内閣の「政策研究会」に加わったり、中曽根康弘内閣の審議会委員に就任したりして、政策決定に影響力を発揮している。中曽根が世論との結びつきに熱心だったことは今さら言うまでもないだろう。

     

     現首相は森嘉郎首相以来と言っていいほど世論に背を向けている。世論の最大の関心事の一つである脱原発にしても極めて後ろ向きで、政策は押並べて信じがたいほどの現状維持でしかない。あまりにも政権交代以前に逆行しているので、おそらく自民党が困っているだろう。20119月に現首相が国連本部を訪問した際、福島出身の人々がビル前で脱原発デモをしたが、一瞥さえしない。菅直人前首相が避難所である夫婦から非難されて冷や汗をかきながら謝罪していた姿がかわいく見えるほどだ。こんな世論の声に耳をふさぐ現首相に協力したいと思うブレーンはいない。

     

     現首相は毎朝駅前で辻演説をしてきたことを誇りにしている。それは人々の肉声を汲み取るよりも自分の意見を訴えることが政治だと言っているのに等しい。この姿勢が顕在化したのが民主党代表選の演説である。この国難にある状況にもかかわらず、将来ヴィジョンではなく、彼は自分の半生を語っている。政治家への志望動機や過去の選挙活動の様子などを口にし、一国のトップを決める場を就職活動の面接まがいに堕している。戦争体験や具体的な政治活動の経験を経て転出した政治家はその志望動機は状況に立脚している。ところが、彼が政治家を選んだのは内的な理由による。政治が内部で完結している。そのため、彼が政治について思いきって話そうとすると、自分の半生に終始してしまう。

     

     しかも、その人物が実際に選出されるのだから唖然とさせられる。あまりにも惨めで、未熟、情けない光景であり、日本の民主主義が歴史と世界の笑いものになった瞬間である。合衆国大統領の候補者が投票日前日に自分の半生をアピールすることなどありえない。有権者が求めているのは、その人物が当選した際のアメリカの将来ヴィジョンだからである。

     

     なお、大平の選挙演説は、残念ながら忘れられているけれども、ジェームズ・ブラウンの『マンズ・マンズ・ワールド』を髣髴させるソウルフルなシャウトである。映像記録のウェブ上での公開が待ち望まれる。

     

     もっとも、こうした傾向は松下政経塾出身の政治家に大なり小なり見られる。政経塾出身者は、80年代後半から地方議会に進出、90年代に入ると国政でも注目され始める。「しがらみのない政治」を標榜し、地盤・看板・鞄なしで中央・地方議会の議員になる彼らの姿は、55年体制の政界にあって新鮮さを世論にアピールする。

     

     けれども、政経塾出身政治家の存在意義は80年代前半までである。阪神・淡路大震災を契機に、市民の政治参加への意識が急速に高まる。政治課題を自分たちの問題として真剣に考え、意見交換をし、行動を実践、新しい公共性の構築を模索している。この新たな政治のうねりの中、市民の政治運動の組織化が求められるようになる。ところが、天狗連ならぬ塾連はこの流れに寄与しないばかりか、敵対的でさえある。

     

     塾連にすれば、市民は所詮生活からしか物事を見ていないが、自分たちはしがらみがないから、大局的に考えて、政治に携わっているという自負がある。しかし、それは著しく独善的な姿勢である。市民の肉声に耳を傾け、それを汲み取り、政治課題への対応に反映させる。そうした姿勢のない政治は机上の空論にすぎない。しがらみのなさは自らの正しさへの過信につながり、願望的思考にとらわれている。それもあってか、不勉強もはなはだしい。その典型例が現民主党政調会長だろう。もはや塾連はその独善性が自らの政治的な既得権益を守ることにしかなっておらず、新しい政治の成長を阻害している。

     

     塾連は過渡期の政治家である。歴史的使命はすでに終えている。しかし、よりによって、今彼らが日本政治の中枢にいる。その態度は「小岸信介」と呼ぶにふさわしいほどだ。現首相を含めて塾連は身を引き、市民が参加する政治を構築するべきである。そのとき、彼のお望み通り、ブレーン政治が出現する。

    〈了〉


    JUGEMテーマ:原発

    リテラシーS紳士録:由紀さおり 佐藤清文

    • 2011.12.16 Friday
    • 07:42
    評価:
    由紀さおり
    EMIミュージックジャパン
    ¥ 2,800
    (2011-10-12)
    コメント:抒情は、視覚的・聴覚的な直接性に基づいていますから、透明感がなければなりません。湿っぽさと無縁です。涙は透明度を落とす濁りでしかありません。澄んでいまので、その世界は軽やかです。その透明度は、バイカル湖がそうであるように、深さによって体感できます。奥行き�

     

    由紀さおりのために

    Seibun Satow

    Dec, 15. 2011

     

    「もちろん、辞めたいと思ったことだってあります。でも、そういうときに必ず歌にかかわる何かが起こった。歌に救われた。だから今はもう私の人生は歌うことが使命なのだと思っています」。

    由紀さおり

     

     何も驚くことはありません。当然の現象が起きているだけです。

     

     由紀さおりがアメリカやイギリスでブレークしています。佐藤清文という文芸批評家はこう言っています。「私はこれを20世紀からずっと待っていた」。

     

     最大の理由は、もちろん、由紀さおりのボーカルです。涼やかで、軽やか、奥行きのある乾いた透明なあの歌声です。なおかつ、姉の安田祥子と比べて、由紀さおりの歌声には流行歌手の雰囲気があり、庶民臭さがあります。それが体現している序は抒情です。

     

     抒情は、視覚的・聴覚的な直接性に基づいていますから、透明感がなければなりません。湿っぽさと無縁です。涙は透明度を落とす濁りでしかありません。澄んでいまので、その世界は軽やかです。その透明度は、バイカル湖がそうであるように、深さによって体感できます。奥行きのある歌声はその果てまで透明だと感じさせるのです。

     

     こうした奥行きを備えた透明感のあるボーカルは、英語圏のポップ・ミュージック・シーンでは非常に稀です。アート・ガーファンクルくらいでしょう。その高貴な歌声は喧騒の60年代の社会・音楽に静寂をもたらしています。その比類なきボーカル・テクスチュアは当時のロック界のムーブメントやトレンドとはずれていましたが、それを含めたより広いポップ・ミュージックの勢力やファンを結びつける役割を果たしています。

     

     コーエン兄弟は映画『ディボース・ショウ(Intolerable Cruelty)』(2003)でサイモン&ガーファンクルの曲を登場人物たちに歌わせています。このセンスはさすがだと言わねばなりません。これは離婚訴訟専門の男性弁護士とバカな金持ちの男を食い物にする女性を主人公としたラブ・コメディです。映画『卒業』を踏まえ、そういう映画でサイモン&ガーファンクルを使っているのです。

     

     こう考えてくると、今回の由紀さおりのブレークもさることながら、坂本九の『上を向いて歩こう』が世界的に大ヒットした理由も理解できるでしょう。透明度の高いボーカリストが世界には少ないからです。

     

     このタイプのボーカリストは、先にガーファンクルでも触れましたが、ジャンル横断が可能です。これがそのアーティストの感性に依存してなされたなら、つまり思いつきによるだけなら、自己完結な試みに終わってしまいます。けれども、各勢力やファンが分断された状況を結びつける必要性を時代や社会が求めるときであれば、話は違います。それに答えるのはその歌声しかないのです。

     

     1969年の諸ジャンルのヒット曲をカバーしたアルバムにより由紀さおりが評価されているというのもうなずけるでしょう。

     

     実は、日本にはこうした透明度の高いボーカリストが少なくないのです。他にも、『赤ちょうちん』の南こうせつ、『思えば遠くへ来たもんだ』の武田鉄矢、『赤い花白い花』の赤い鳥、『結婚するって本当ですか』のダカーポ、『追いかけてヨコハマ』の桜田淳子、『忍冬』の因幡晃などいくらでも曲を挙げられます。世界は彼らを待っています。

     

     ただ、明らかに80年代以降からは減っています。奥行きがなかったり、濁りがあったり、非力だったりするボーカリストが増えています。ファンが住み分けを好んだからでしょう。

     

     余談ながら、世界で最も受容される可能性が高いボーカリストは『愛のメモリー』の松崎しげるです。この曲は中南米はもちろん、インドや中東、アフリカに持っていっても、絶賛されるでしょう。世界はカラオケで自分でも歌えそうな程度のボーカルを求めていません。圧倒的なものに惹かれるのです。

     

     今、世界が愛しているのは由紀さおりです。いわゆるジャパン・クールやJポップではありません。アメリカを始めとして世界は苦境にあります。お互いに反発したり、なじりあったり、不信感にとらわれたりしています。そんな分裂含みの世界は、結びつけの効果をもたらす由紀さおりの透明な歌声を必要としています。由紀さおりは歌に救われ、世界は由紀さおりの歌声に救われつつあるのです。「愛し合うその時に、世界は止まるの。時のない世界に二人は行くのよ…」

    〈了〉

    参照文献

    「インタビューひと 第六十三回由紀さおりさん」、『どらく』、2008

    http://doraku.asahi.com/hito/interview/html/080215.html


    JUGEMテーマ:邦画

    マーティン・バーク監督の『ジョブスとゲイツ(Pirates of Silicon Valley)』(1999)

    • 2011.12.13 Tuesday
    • 07:21

    スティーブ・ジョブス

    Seibun Satow

    Oct, 6. 2011

     

    “Design is not just what it looks like and feels like. Design is how it works”.

    Steve Jobs

     

     ベンチャー・ビジネスを起こす人を「ガレージ起業家(Garáge Entreprenèur)」とも呼ぶ。自宅のガレージから始めたビジネスが巨大な産業帝国の支配に風穴を開け、世界の市場を席巻する。そんなベンチャー・ビジネスの夢を具現化したスティーブ・ジョブスが2011105日に56歳で息を引きとる。早すぎる死だ。

     

     ジョブスの業績を挙げればきりがない。その多様性は驚異的である。彼はエスタブリッシュメントが見こみなしと切り捨てた事業を数々成功させる。一般人がコンピュータを必要とするわけがないとか、ダウンロードして音楽を聞く人はいないとか今ではどちらが間違っていたのか明白である。

     

     とは言うものの、マッキントッシュからiPadに至るまでアップル社の製品には最新の技術が活用されていない。既存の技術を組み合わせ、高いデザイン性と巧みな販売戦略でブームを巻き起こすのがジョブスの手法である。また、ジョブスは、アラン・ケイのダイナブック構想のような歴史的パースペクティブのあるヴィジョンを持っていたわけではない。よりよい社会に寄与するための製品・サービスを提供したいという思いはあったが、そこに文明論的な視点はない。

     

     ちなみに、既製の部品を搭載しているので、製品価格の内訳が算出できる。第4世代iPod20GBモデルが299ドルで販売されていたが、吉森賢横浜国立大学名誉教授によると、それは次の通りである。部品代が144ドルで、最も高いのが東芝製(中国生産)HDD20ドルである。アメリカの商取引では問屋が価格の10%、小売が15%をとるので、それぞれおよそ30ドルと45ドルになる。残りの80ドルをアップル社が手にするわけだが、それは価格の27%弱に当たる。収益の方法さえも製品から見えてしまう。

     

     おそらくジョブスをトーマス・エジソンやヘンリー・フォードのような実業家として見るべきではない。彼は、むしろ。ガブリエル・ココ・シャネルやピエール・カルダンのようなファッション・デザイナーだと捉えるべきだろう。

     

     それは1985年以降のジョブスとアップル社の浮沈によって強調される。85年、ジョブスは、その性格を主因として、アップル社から追放される。この辺の事情は、ポリスの『シンクロにシティ機戮印象的に使われているマーティン・バーク監督の『ジョブスとゲイツ(Pirates of Silicon Valley)』(1999)でうかがい知ることができる。追い出した方は苦しい経営状況が続くが、追い出された方もぱっとしない。96年にジョブスがアップル社に復帰すると、両者共に輝き始める。ジョブスあってのアップル社であると同時に、アップル社あってのジョブスである。アップルはメーカーではなく、DCブランドであり、ジョブスはデザイナーである。

     

     こうした関係は今日の電子技術製品のあり方から理解できよう。今の電子製品は指で触れ、身体に装着し、いつでもチェックできるものである。それは電子の五感であり、脳への新たな刺激と言ってもよい。時代遅れのヘアースタイルや悪趣味なファッション、たるんだボディラインで街を歩きたくはない。体の一部と化した電子製品も同様である。サプライヤーには技術者ではなく、ファッション・デザイナーのセンスが必要とされる。アップル社製品は最新のモードであり、それを世に出すのがスティーブ・ジョブスだというわけだ。そこからユーザーの高い忠誠心が生まれる。

     

     2011105日は19571024日に似ている。それは、戦後モードを生み出したクリスチャン・ディオールが52歳の若さで亡くなった日である。組織の命運が特定の個人に依存する姿は健全ではない。あのときは才能溢れる若干21歳のイヴ・サン=ローランがディオール社のチーフ・デザイナーに就任し、「トラペーズライン」で世間をあっと言わせる。

     

     しかし、今はITのイヴ・サン=ローラン出現の可能性を云々する心の余裕はない。ただただ、スティーブ・ジョブスの死を惜しむだけである。

    〈了〉

    参照文献

    吉森賢、『企業戦略と企業文化』、放送大学教育振興会、2008


    JUGEMテーマ:原発
     
    評価:
    スティーブン・ハフト,ニック・ロンバルド
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    (2011-12-21)
    コメント:85年、ジョブスは、その性格を主因として、アップル社から追放される。この辺の事情は、ポリスの『シンクロにシティ機戮印象的に使われているマーティン・バーク監督の『ジョブスとゲイツ(Pirates of Silicon Valley)』(1999)でうかがい知ることができる。 佐藤清文

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