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    デジタル技術時代の雑誌3:進化する雑誌 佐藤清文

    • 2011.12.23 Friday
    • 05:53
     

    3章 進化する雑誌

     雑誌は、情報のオーバーロード状況下、自律した考えの個人による新たな公共性形成に寄与する媒体として登場している。今日、むしろ、この雑誌の原点が求められている。現代社会は啓蒙主義の時代と類似しており、「電子版文芸共和国」と呼べるほどだ。世界的にインターネットが普及し、日々無数の電子メールが送信・転送されている。サイバー空間内には電子版サロンの各種のSNSが開設され、電子版百科全書のウィキペディアも運用されている。一方で、システムのエントロピーが増大しても、相互作用が働いてサブシステムを形成する動きが現われる。同種の人々がネットを通じて結合し、極端な志向に先鋭化するのみならず、異質な他者を排除・攻撃するというサイバー・カスケードが横行している。また、311直後に典型的に見られた縷言飛語竜がネットワーク効果によってあっという間に空間内に蔓延してしまう。時代の大きな変化と共に、新しい公共性が必要とされている。雑誌は、そのための知のダイジェストとして応えることができるはずである。

     

     雑誌は、生まれた時代のせいもあるが、トランザクションの集積である。18世紀は事実が堆積している状況であり、構造を有した体系に乏しい。雑誌を読んで、体系的・総合的知識を得ることはできない。今日の読者は、当該領域のリテラシーを習得しつつ、眼を通すことが望ましい。さもないと、鵜呑みにしたり、勘違いしたり、つまみ食いしたりで終わってしまう危険性がある。ただ、現代は変化が目まぐるしく、歩きながら考える姿勢が必要である。雑誌は、意識すれば、それに対応できる経験論的思考を育める。実は、啓蒙主義者は、ヴォルテールを代表に、ジョン・ロックを自らの先駆者と見なしている。

     

     経験論は、「コモンロー(Common Law)」と「エクイティ(Equity)」を例にすると、理解しやすい。イギリスには一貫性のある成文憲法、すなわち法典がない。その代わりに、マグナ・カルタ以来の法令と判例の集積という複雑な法システム、すなわちコモンローがある。個別事案に応じてその具体的な事実及び観衆規範の中から裁判官が法を発見することを基本とし、先例に従い「似たものは似たように扱うこと(Treat like case alike)」という原則がある。個別から一般へという方向で法体系が発展している。しかし、こうした先例拘束制では対処できない新たな社会状況が生まれてくることは容易に想像がつく。これを補うのがエクイティである。事案によっては、コモンローを適用させると、その特有の事情によりかえって社会正義に反した判決が導かれてしまう。それを考慮した個別判断という形式で、救済手段として発展したのがエクイティである。エクイティも裁判所の判決であるため、次第に、先例主義化する。19世紀後半に、コモンローとエクイティは統合される。

     

     日々多くの新たな理論・・実践が生まれてくるが、それらは過去を踏まえている。有力な学説や実践例を知りつつ、現前で展開されることを認識し、可能性を追求するには、コモンローとエクイティの発想が必適切である。

     

     公共性形成のための知のダイジェストが求められているのに、従来のオピニオン誌やモード誌はそれに応えていない。村上春樹へのロングインタビューが現代の公共性だとはとても言えないだろう。今の雑誌に欠けているのは「集合知」の意識であり、社交としての読書である。知識や情報、理念を共有して、価値を協創していこうとする試みであり、重要なのはプロセスである。その目的は知の循環と言える。供給者と需要者が一体化して、LANの比喩を用いると、サーバーを必要としないP2P方式である。これを「オンデマンド誌」と命名できるが、それは形成されているネットワーク全体を指している。

     

     雑誌が読者に情報を提供すればよいという考えは時代錯誤である。人々は、インターネットの浸透と共に、質が低いことを承知しつつ、情報に金を払うことを渋るようになっている。情報の提供・消費では、雑誌はネットにかなわない。読者が雑誌に求めているのは情報ではなく、リッチなユーザ−体験である。東京ディズニーランドに人々が足を運ぶのは情報が欲しいからではない。そこには他では味わえない他見があるからだ。また、ボランティア活動が盛んであるが、それは分業化が進む社会で自分のしていることがいかなる貢献をしているのか見えなくなったからと同時に、体験のもたらす充実感を求めているからである。情報が無料だとすれば、付加価値は体験になる。

     

     アニメ監督の山本寛は、201114日付『朝日新聞』の「ブームよ再び 外向き思考」において、デジタル技術時代のメディア産業のあり方に関して非常に示唆に富む意見を述べている。日本のアニメ市場は縮小傾向が続いている。以前ならDVDを買ってくれるコアなファンが15万人はいたのに、おそらく今は10万人を切っている。しかも、ネットによる違法配信が後を絶たない。小さな市場で確実に売れるようにとオタク向けの特定分野に制作が集中した結果、土壌がやせ細ってしまう。同じ分野の似たようなテイストの作品で少ないパイを奪い合っているのだから、大部分売れないし、たまにヒット作品が生まれると、他が全滅する悲劇がもたらされる。オタク依存によってアニメ市場は壊滅的な状況に陥っている。打開策は内向きの姿勢を改め、アニメを見ていない、あるいは見なくなった人を呼びこむことである。その際に、制作の過程も分業から協同へと見直す必要がある。従来のように、プロセスを再分化して外注していると、スタッフに参加しているという意識が感じられず、おざなりな作品に終わってしまう。自分たちが沸きあがっていないのに、お客が満足するわけがない。実は、アニメを見ない人、あるいは見ていた人に訴えるのはハードルが高い。それには従来の自分自身を相対化して、見直さなければならない。

     

     山本監督の主張を一言で要約すると、「協同」になるだろう。人々を消費者としてではなく、アニメ文化を育んでいく草の根と捉え、その土壌を豊かにすることからとり組む。セグメント化は短期的に成功しても、中長期的には苦しい。新規読者の参入が限定されるからだ。同じ作物を連作すれば土壌がやせるのは当然だ。夏目房之介は、『マンガはなぜ面白いのか』の中で、文化の土壌改良には多様なコミュニケーションが必要だと次のように言っている。「マンガがとても豊かな娯楽性を発揮して、大衆文化として根づいているとすれば、先鋭的な表現と定型的な表現とが互いに完全に分離しないで、交流しながら発展しているからだろうと考えられます。おうおうにして批評家やマニアがバカにしてしまうような作品、どこを読んでも同じような類型的な作品がたくさんあることによって、初めてマンガ文化全体が豊かなダイナミズムを持ちうるのです。『いいマンガ』、『優れたマンガ』、『先鋭的なマンガ』のみを評価して、『くだらないモノ』は排除するという発想でマンガをとらえると、自分で自分の首をしめるようなことになりかねません」。これはマンガに限らず、文化全般に言える。文学も「『くだらないモノ』は排除するという発想で」とらえると、「自分で自分の首をしめるようなことになりかねません」。また、制作する際にも、分業は過程に参加することで体験できる充実感を希薄にする。シェアリングによる他では味わうことのできない体験はスタッフの意欲を増す。滞っているものを循環させなければならない。それには協同が欠かせない。

     

     従来の送り手と受け手が今後は一体化して価値観を協同創造して雑誌を作成する時代が来ている。この協創は読者アンケートを編集に反映させることではない。認識の非対称性に変化が伴っておらず、依然として読者を消費者と見なしているにすぎない。執筆者・編集者・読者が自分の立場・志向を相対化し、互いのそれを体験する。その際には、細分化された創作過程を協創の観点から見直すことが必須である。情報のオーバーロードへの対応として各種のリテラシーの向上が推奨されている。リテラシーを習得するには、体験が効果的である。リテラシーの学習体験として雑誌制作は面白い。それにより知が循環される。

     

     非専門家が参加することで質が低下すると憂う声もあるだろう。しかし、そういうエリート主義的発想が雑誌の土壌をやせさせたのであって、雑誌を読まない、あるいは読まなくなった人との協同作業による多様なコミュニケーションがそれを復活させる。

     

     この課題に応えるためには、雑誌は紙にこだわる必要はない。そうすれば、自分の本棚を国内外を問わず持ち運べるも同様だし、ネット上の各種のサービス・サイトとも活用・連携できる。言うまでもなく、ブック・デザインを始めと刷る印刷物に関する知識・技術は、人類の遺産のみならず、人間工学的にも優れた点が認められる。電子書籍はともかく、多くのホームページは背景が白である。しかし、印刷物の本文の紙の色はアイボリー・ホワイトではない。もしそんなことをすれば眼が疲れて読んでいられない。長い歴史の間に蓄積されてきたこうしたノウハウを電子機器に生かさない手はない。電子書籍の携帯端末でも印刷物同様のページをめくるルジメントが遺されている。

     

       Amazon.com は、2011519日、通販サイトで電子書籍の販売部数がとり扱い開始から4年足らずで紙版書籍のそれを超えたと発表する。同社は19957月より紙版書籍の販売を手がけ、200711月にリーダー端末「キンドル」と 電子書籍「キンドル・ブック」の販売を開始、107月にハードカバー版、111月にペーパーバック版のそれを上回っている。ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)CEOは「いつの日か電子書籍の販売が紙版書籍を超えるとの希望を抱いていたが、こんなに早く実現できると思わなかった」と驚きを隠さない。現在、米国向け「キンドル・ストア」では95万タイトル以上の電子書籍を提供している。

     

     日本の人々は外的ショックに見舞われると、「これは大変だ!」と慌てて状況を読み、技術によって適応する傾向がある。けれども、電子書籍市場ではその意識がまだ弱い。日本では、電子書籍のラインナップが少ないため、アメリカほど普及していない。しかし、311はこの状況の変革を出版会に迫っている。201146日付『産経新聞』によると、震災によって工場が被害を受けたり、道路事情が悪化したりしたため、紙とインクの供給不足が生じ、出版物の発売の延期・中止が相次ぐ。従来の紙とインク、印刷機に依存していては、今後起こるであろう災害や事故、事件等の際に、同様の事態に陥ることが予想される。雑誌も、流れを忖度すれば、将来、電子書籍が主流となるだろう。

     

     学術誌は媒体の物理層として「紙」を捨てている。インパクト・ファクターが大きい権威ある雑誌も電子版が主で、もし活字で読みたければ、各自がプリントアウトする必要がある。学術誌の目的からすれば、媒体が何であるかは二次的である。現在でも刊行されている世界最古の学術雑誌『フィロソフィカル・トランザクションズ(The Philosophical Transactions of the Royal Society)』である。同誌はロイヤル・ソサエティの紀要として166536日に創刊されている。ホームページで公開され、アブストラクトは最新号でも無料で閲覧できる。同サイトでは膨大な量のバックナンバーと検索システムが用意され、RSSフィードやツイッター、フェイスブックのサービスも提供されている。これを見る限り、学術誌が紙に固執する理由はない。

     

     確かに、書籍の中には、紙の方が好ましいものもある。小学生用の教科書がその一例だが、理由は大きく二つ挙げられる。一つは耐久性である。教科書の置かれた環境は書籍としては最悪の部類に属する。ランドセルに推しこまれ、そのすき間から雨や風が入ってくる。給食の牛乳やタルタルソースをこぼされる。丸めて友達の頭を叩く道具にされる。この条件下で、最低一年間は書籍の体裁を保たなければならない。もう一つはカスタマイズである。学習の際に、重要箇所にラインマーカーを引いたり、余白に書きこみをしたりすることはよくある。自分なりに理解をするため、こうした手を動かすことは学習上望ましい。手書きの持つ学習効果は非常に高い。この二点からも、現段階では、小学生用の教科書は紙の方が向いている。

     

     しかし、雑誌にはこうした点は必ずしも必要ではない。デジタル技術はP2Pや集合知のオンデマンド誌を可能にする。ブログやツイッターもあり、論壇が拡散しているのだから、今さら雑誌など必要ない。事実、メール・マガジンはダイレクト・メールに堕している、グーグルやヤフーのようなポータル・・サイトがサイバー空間の雑誌だという主張もあるだろう。けれども、各種のリテラシー向上にはそれらでは不十分である。まだ見ぬ新たな雑誌の形式には、ビジネス・モデルの確立や法的措置の用意も不可欠である。集合知ではwikiが有名だが、新技術も出現しているし、既存の技術の組み合わせでも実現できる。これはコンピュータ・プログラマ次第だ。プログラムが雑誌の歴史を切り開く。それはすぐそこまで来て、気づかれるのを待っている。そのとき、社交としての読書が復活する。

     

     電子版啓蒙主義の時代である現代は雑誌を求めている。また、日本語の雑誌だからと言って、市場は日本だけではない。世界各地には日本語を学んでいたり、使ったりする人が数多くいる。そういう人たちも潜在的読者である。しかし、日本において時代の要請に応えるには、「80年代よ、さらば!」と過去の栄光から決別することが前提である。

     

     誰でもインターネットの1ページは世界的な専門家になれる。

    〈了〉

    参参照文献

    六本佳平。『法の世界』、放送大学教育振興会、2004

    永江明、『筑摩書房 それからの四十年』、筑摩選書、2011

    夏目房之介、『マンガはなぜ面白いのか』、NHKライブラリー、1997

    福井憲彦、『近代ヨーロッパ史』、放送大学教育振興会、2005

    デジタル技術時代の雑誌2:雑誌と啓蒙主義 佐藤清文

    • 2011.12.21 Wednesday
    • 21:53

    雑誌の起源については諸説あるが、イギリスのエドワード・ケイヴ(Edward Cave)が1731年に発行した『ザ・ジェントルマンズ・マガジン(The Gentleman's Magazine)』が後世に最も影響を与えたプロトタイプであることは間違いない。それは、「知識の貯蔵庫」という比喩で名称に組み入れたアラビア語由来の「マガジン(Magazine)」が後にこうした出版物の一般名詞になったことからも強調される。18世紀半ばには、同誌のように、政治問題に関する論争から評論、小説、詩までを幅広く含む娯楽性の強い定期刊行物を指す単語として定着している。この1907年まで続く雑誌の執筆者の中に、サミュエル・ジョンソンがいたことはよく知られている。

     

     こうした雑誌が受容されていくには、時代の後押しが必要である。1731年以前のイギリスは、清教徒革命と名誉革命の二つの市民革命を経験し、激動している。この間、絶対王政の特権大商人と二つの新興階級との対立が見られる。一つは独立自営農民、すなわちヨーマンであり、中世農奴解放によって14世紀以降に広まった自由な自作農である。15世紀に入ると、羊毛・毛織物生産に従事する者が多く現われ、16世紀以後の囲い込み運動・マニュファクチュアの進展と共に、資本家と労働者へと分化していく。もう一つは下級貴族である騎士が地主化したジェントリーである。ヨーマンより一級上とされた彼らは、16世紀、囲い込み運動を推進し、次第に議会にも代表を送りこむまで政治的・経済的力をつける。市民革命は貴族とヨーマンを衰退させ、ジェントリーが大土地所有に成功し、地域の名望家として国政や地方政治を担い、貴族と共に地主支配体制を確立している。

     

     「ジェントルマン」は、もともと、このジェントリーの最下層を指していたが、身分的には爵位を持たない庶民であったので、いた財産で土地を購入した商工業者、さらに法廷弁護士や医者、英国国教会の聖職者、官職保有者などの教養市民層も含まれるようになっている。支配階級に成長した彼らは、その正当化を図るため、地位にふさわしい生活様式・教養を身につけ、身分に伴う責務を果たすことを説き、それを実践できる人物を「ジェントルマン」と呼ぶ。『ザ・ジェントルマンズ・マガジン』はそうした要請に応える定期刊行物として発行される。

     

     17世紀半ばの西欧には人口的・社会的・宗教的・経済的・政治的な諸問題が一度に噴出して、衰退状況に陥る。英国の歴史家ヒュー・トレヴァー=ローパーはそれを「17世紀の全般的危機(General crisis of the 17th century)」と呼んでいる。ところが、18世紀に入ると、そのすべてが好転に向かう。気候が温暖化し、ペストの流行も過ぎ去る。人口が増加し、平均寿命も延び、陸路・水路のインフラが増設・整備され、地方から農産品が逃れこむ都市は膨張し、商業が発達、人々の生活水準が向上する。新たに制度化され始めた市場経済は人々を依存させはするが、封建制度と違い、ヒエラルキーを持っていない。新たな都市住民は、教会や国王の庇護なしに、このシステムを通じて富を獲得・増大、新たな文化を促進し、政治的発言権を求めるようになる。

     

     市場経済が始まったとしても、それはまだ牧歌的で、19世紀以降の胃薬が手放せない緊張を極度に強いる生存競争はまだない。規模の経済かそれとも範囲の経済かという論争もない。そもそも誘因整合性を考慮しなければならないほど巨大な企業はまだ登場していない。合成の誤謬など考える必要もなく、神の見えざる手が市場を自動調節している。

     

     政治的・経済的目的からヨーロッパ人は世界各地に足を運び、膨大な量の文物や情報を本国へ持ち帰る。この時代の人々は著しく外向的である。欧州を先進するイングランドに至っては、裕福な子弟の間で、「グランドツアー(Grand Tour)」が流行している。これは今で言う大学生の卒業旅行で、数ヶ月から数年間、家庭教師を伴ってフランスやイタリアの各地を観光したり、見聞したり、ナンパしたり、美術品や骨董品などを買ったりしている。このときのコレクション熱が博物館やオークションにもつながっている。しかし、好奇心は尽きることがないとしても、情報のオーバーロードが欧州で発生する。識者であっても日々更新される知識についていくのが非常に難しい。グレコ=ローマンの古典や新旧約聖書などを読んでいるだけで教養として十分だったが、それだけでは置かれた状況を認識することなどできない。とにかく対象を整理・列挙・分類・分析しなければならない。こうした要請に応えるべく、1751年から知の総覧である百科全書の刊行が始まる。執筆者は、有名・無名を合わせて184人に及ぶ。神を頂点とする階層構造はなく、すべての項目はアルファベット順に並べられている。イラストがふんだんに盛りこまれ、しかも、断面図が大単位採用されている。予約部数は、実に、4000に達し、時代が求めた書籍だと言って過言ではない。

     

     多種多様な立場の人たちが政治・経済・社会に関する改良や改革を始めとする自分の意見を積極的に表明し始める。国王や教会の支配に代わる新たな公共性が必要だ。彼らは特定の学派や政治集団を形成していたわけではなく、「集合知」である。これこそが啓蒙主義の本質である。おりしも、郵便網が整備され、フランス語の読み書きができれば誰でも参加可能なメール・ネットワークが成立する。王侯貴族から行政官、法曹関係者、学者、芸術家、作家、貴婦人、商人、職人などありとあらゆる階層の人々の間で新たな情報や知識、思想、知見がしたためられた手紙が送信され、転送される。さらに、それらはサロンでの社交を通じて熟議される。国家や教会権力から独立し、そこに中心はなく、この知のネットワークは「文芸共和国」と呼ばれる。新しい公共性はこの共和国におけるコミュニケーションそのものである。

     

     その中で、こうした発言をリードする役割を担っていたのが「フィロゾーフ」と言われた知識人たちである。彼らも非常に幅が広い。進歩を賛美するヴォルテールから文明を批判するジャン=ジャック・ルソーまでいる。前者はまさに時代の寵児であり、生涯4万通の手紙を書いたと伝えられている。彼が今生きていたら、世界最高のブロガーであり、ツイッターのフォロワーは驚異的であろう。他方、後者は、ベストセラー作家でありながら、洗練されたサロン文化になじめず、スパルタのポリス社会を理想として、文明を嫌悪する野暮ったい田舎者である。二人の仲はおよそ険悪で、論争も絶えない。彼らが同じ枠の中に入れられるところが啓蒙主義のしなやかさである。

     

     しかし、啓蒙主義者たちは新たな公共性を構築し、社会をよりよくしていこうという使命感に燃え、既存の王政や教会を批判的に捉える姿勢は共有している。ただし、体制転覆をする気はない。彼らが普遍的な政治・経済・社会のヴィジョンについて語りながら、特定の国家を標的にしていないことからも明らかだろう。彼らが目指したのは革命ではなく、あくまで改革である。それによって世界は刷新され、幸福がもたらされると信じている。啓蒙主義者は過激な反体制分子ではなく、為政者も彼らの意見を参考にしようととりこみを図り、そのため、「啓蒙専制君主」という冗談めいた国王さえ出現する。

     

     雑誌は、こうした社会的・歴史的背景の下に誕生・普及する。それは新たな公共性を形成するための知のダイジェストである。当時の読書は社交、すなわち人と人とのつながりである。購入している人もいたが、高価なこともあって、本は図書館や書店の閲覧室、読書サークル、サロンで読まれている。読み書きのできない人のために、誰かが代読することも珍しくない。音読し、複数の人の間で議論するのが読書であって、一人で黙読して思考するのは近代以降の姿である。読者の数だけ解釈があるという信念は対話をまったく考慮しておらず、近代的な黙読のもたらす誤謬である。他者の意見を聞いて、自分の理解を修正したり、逆にそれを説得したりするのが読書である。コミュニケーションは自分の考えの相対化であり、「話す」ではなく、「聞く」から始まる。注目の知をダイジェストした定期刊行物、すなわち雑誌は、書簡と並んで、知識人や教養市民層などの間で読書の核となり、新しい公共性の形成に寄与している。 



    デジタル技術時代の雑誌1:戦後の雑誌の流れ 佐藤清文 

    • 2011.12.20 Tuesday
    • 07:30


    デジタル技術時代の雑誌

    Seibun Satow

    May. 26. 2011

     

    「多様性は人生の薬味である」。

    ウィリアム・クーパー『務め』

     

    1章 戦後の雑誌の流れ

     2011328日、雑誌大賞選考委員会は、第1回雑誌大賞として新潮社の『考える人』2010年夏号に決定する。こうした賞が新たに制定され、村上春樹のロングインタビューを特集した雑誌が受賞作に選出される状況に雑誌の苦境がうかがい知れる。そこから将来の雑誌像がまったく見えてこない。

     

     マスメディアに対する賞としては1957年に創設された日本新聞協会賞がよく知られている。これは、協会に加盟するすべてのマスメディアを対象に、その全体の信用と権威を高めるような活動を促すことを目指して表彰すると明確である。編集部門・技術部門・経営業務部門の三つに大別され、最初の部門はニュース・写真映像・企画に細分されている。原則として毎年協会が指定した1年間の業績を対象にする。

     

     こうした伝統ある賞と比較して、この新参者の意義や基準がはっきりしない。斜陽産業復活の起爆剤として創設されただけという印象をぬぐいきれない。雑誌が現代日本社会にいかなる貢献をしているのか雑誌大賞の受賞作から伝わってこない。将来の雑誌像を予感させるものが受賞して然るべきナはずだが、後述するように、80年代の栄光にすがっているか、自分たちの好みを表明するにすぎない。なるほど、雑誌が売れないわけだ。

     

     論壇をめぐる雑誌を例にその戦後史を振り返ってみよう。終戦から60年代までは「オピニオン誌」の時代である。識者は月刊の総合誌に自らの意見を発表し、そこでの主張・論争を通じて党派性が形成される。進歩派・保守派を問わず、論者はすべての課題を一貫するグランド・セオリーに基づき、実態の検証を二の次にして、高踏的に規範や理念を語る。『文藝春秋』や『世界』、『中央公論』などが代表である。この時期、論壇を引っぱったの歯文学者であるため、文芸誌もこれに含まれる。LANの構築方式の比喩を用いれば、ホスト端末一極集中方式で、雑誌がメインフレーム、読者は端末である。執筆者はしばしば何も考えず、自身の属する党派のイデオロギーを伝えるだけのダムターミナルと化す。このタイプの雑誌の目的は知の占有である。

     

     価値観が多様化し始めた70年代から、セグメント化が進み、毎回テーマを決めてそのトレンドとスペックを消費者としての読者に紹介・提案する雑誌が登場する。『現代思想』や『エピステーメ』、『ユリイカ』などがそうしたタイプであり、「モード誌」と呼ぶことができよう。LANの比喩を使えば、クライアント/サーバー方式で、サーバーとしての雑誌がテーマに関してファイル・サーバーを検索処理し、クライアントである読者に渡す。その目的は知の消費である。

     

     当時の出版界の空気は筑摩書房の倒産がよく物語っている。1940年に創業された筑摩書房は、古今東西の文学全集や個人全集の刊行などで堅実なイメージを持っていたが、1978712日、会社更生法の適用を申請する。この倒産に関する書籍は少なからず刊行されているが、最新の永江明の『筑摩書房 それからの四十年』によると、主因はどんぶり勘定の経営体質と企画力の貧困さに求められる。人々が活字に餓えていた終戦直後と違い、価値観が多様化した70年代後半では、読者が何を望んでいるのかというマーケティングに基づく企画が不可欠である。出版界にも読者主導の変化が到来している。

     

     60年代のカリスマ吉本隆明が『anan1984921日号にコムデギャルソンを着て登場したのは象徴的である。同志は、19703月、『anan ELLE JAPON』として創刊され、日本で初めて読者を消費者と捉えている。従来、ファッション誌には型紙が巻末についていたが、『anan』は大胆にもそれを外す。洋服は自分でつくるものではない。買うものである。雑誌は広告媒体であって、それを前面に押し出しても、消費社会が到来しつつあり、読者にも抵抗感が減っている。これにより広告収入も増え、経営が楽になる。その後、他誌も追従し、80年代は雑誌の黄金時代となる。

     

     ところが、東西冷戦の終結とバブル経済の崩壊後の90年代、モード誌に変化が現われる。扱うテーマがドゥルーズ=ガタリや脱構築といった高踏的なものから介護や地域コミュニティなど身近なものへと転換する。もっとも、オピニオン誌は滑稽なまでに強引に党派性を見立てていたが、戦後を支えてきた政治的・経済的前提が崩れて、課題の見直しが迫られ、モード誌はそれに対応している。けれども、阪神・淡路大震災のボランティア活動が物語っていたように、時代の変化は雑誌のモデル自体の変更も求めている。市民は消費者だけではない。にもかかわらず、その後も、クライアント/サーバー方式が支配的である。既存マスメディアを激しく批判し、自らの新しさを誇示する東浩紀の『思想地図β』にしたところで、彼が生まれた頃に登場したモデルのヴァリエーションでしかない。

     

     と同時に、論壇における文学者の影響力の凋落が顕著化する。オピニオン誌の頃、文芸批評家や劇作家、小説家が議論をリードしている。福田恒存や江藤淳、大江健三郎の発言が論争の中心にあったことは確かである。しかし、モード誌の時代に入ると、文学者の主張が説得力を失い始める。規範的な問題であるなら、文学者は言語表現に繊細であるため、読者をうならせることができる。ところが、トレンドとスペックが要求されるようになると、専門的知識が必須であり、もう彼らの手に負えない。ろくに調べもせず、思いこみと思いつきに満ちた放言で終始することもしばしばである。

     

     長期に亘る不況は消費者の購買意欲を削ぐ。これは広告媒体化を推し進めた雑誌にとって痛い状況である。おまけに、携帯電話が普及し、雑誌の購入費よりもその通話料の支払いを優先する。さらに、インターネットが定着、グルメやシッピング、イベント、リクルートなどの情報もそこから無料で手に入れられるようになる。これでは、人々は情報に金を払うのを惜しむのも人情というところだ。不況に強いと言われてきた出版業だったが、有名オピニオン誌の休刊がマスメディアを騒がせる。

     

     価値の多様化を通り過ぎて、その相対化が社会を覆う。こうした状況で確実に売れる方法を出版社は模索するが、パラダイム・シフトを拒み、読者を消費者と見なすモード誌のモデルを推し進めていく。セグメント化を促進し、ロングテールを当てこむ。『AERA』のように、セグメント化が成功したケースも確かに認められる。同誌は政治的・経済的・社会的課題に関して考えたいという女性をターゲットにし、存在感を占め素手いる。従来、彼女たちを読者層に想定した雑誌は見られず、隙間をついた好例である。しかし、全体としてみれば、雑誌はセグメント化の袋小路に迷いこんでいる。

     

     雑誌大賞は、受賞作からも明らかなように、このモード誌の時代の圏内にとどまっている。なるほど、この時期は雑誌にとって黄金時代だったろう。広告収入はうなぎ上りで、部数も伸びている。けれども、社会が変わったのに、そのモデルに執着していたから販売不振に陥っているのであって、雑誌大賞はとても雑誌の未来を見据えているとは思えない。そもそも選ばれた作品を読もうにも、過去に刊行された雑誌なのだから、図書館に行くほかない。

     

     オピニオン誌やモード誌の役目が完全に終わったわけではない。場合によっては十分に役割を果たせる。しかし、それが雑誌の今日の社会を反映したモデルではない。雑誌でなければ発揮できない固有の効果もあるはずだが、関係者がそれを見失っているのではないかと思わざるを得ない。雑誌の原点を確認し、そこから新たなモデルを編み出すことが今必要である。



    JUGEMテーマ:原発
     
    評価:
    永江 朗
    筑摩書房
    ¥ 1,890
    (2011-03-16)
    コメント:当時の出版界の空気は筑摩書房の倒産がよく物語っている。1940年に創業された筑摩書房は、古今東西の文学全集や個人全集の刊行などで堅実なイメージを持っていたが、1978年7月12日、会社更生法の適用を申請する。 佐藤清文

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