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    脳は絵をどのように理解するか―絵画の認知科学

    • 2012.01.01 Sunday
    • 14:26
    評価:
    ロバート・L. ソルソ
    新曜社
    ¥ 3,675
    (1997-11-15)
    コメント:ハードウエアとしての視覚、認知から記憶モデルに話しが行き、遠近法を一つの例として絵画の歴史から認識のいとなみの歴史に接近して、情報ネットワークに話題が飛んで絵画と認知科学についてのトピックを教科書的に紹介

     

    ハードウエアとしての視覚、認知からスクワイアの記憶モデルに話が行き、遠近法を一つの例として絵画の歴史から認識のいとなみの歴史に接近、情報ネットワークに 話題が飛んで絵画と認知科学についてのトピックを教科書的に紹介。主に短期記憶的な絵画の認識と歴史にいくらか長期記憶的なエピソードが差し挟まれる。

    1:目のしくみ(光の物理的特性、網膜、錐体細胞)
    サッケード:19世紀にエミールジャヴァルによて読書との関連によって初めて研究された。読書時には、毎秒2回から3回のサッケードが起こること が知られている。サッケードの間には、目は約250から300ミリ秒の間、対象や光景に固定する。一般に、注視時間は、興味深い対象やよくわからない対象 では長く、ありふれた対象や単純な対象では短い。私たちは、この注視時間の間だけある特徴を「見て」、次に別の特徴に移る。目の動きは、見ている時間の 10%を占める。こうした目の動きの間、視力は著しく低下する。
    2:脳のしくみ
    3:側抑制と錯覚
    4:知覚的体制化(ゲシュタルト、群化、閉合、プレグナンツ)
    5:トップダウン処理と文脈、意味
     スキーマ:情報の組織化を支配する法則
     スキーマによる誤った記憶
     認知的不協和
    6:サッケードと注視時間
    7:遠近法
    8:遠近法と美術の歴史
    9:長期記憶とスキーマ、
     プロトタイプによる認知
     連合主義(コネクショニズム)



    言語にとって美とはなにか 吉本隆明

    • 2012.01.01 Sunday
    • 12:16
    評価:
    吉本 隆明
    角川書店
    ¥ 780
    (2001-09)
    コメント:「本稿は、1961年9月から1965年6月にわたって、雑誌『試行』の創刊号から第14号まで連載した原稿に加筆と訂正をくわえたものである。この雑誌 は半ば非売品にちかい直接購読制を主な基盤にしているので、連載中、少数のひとびとのほか眼にふれることはなかった。わたしは少数の読者をあてにしてこの 稿をかきつづけた。その間、わたしの心は沈黙の言葉で<勝利だよ、勝利だよ>とつぶやきつづけていたとおもう。」

     

     空間性(指示表出、文学体)を横軸に、時間性(自己表出、話体)を縦軸において、文学表現の品詞、構成、文体を整理する。このスタイルは今度は「心にとって病的とは何か」というテーマで心的現象論でも同じように展開される。これを二元論的デカルト平面展開とか言ってみる。自戒を込めて、生半可な態度で座標を使ったらいけない。


    言語にとって美とは何か、を、記憶モデルで焼き直した場合の展開

    指示表出=意味記憶(漱石文学論のF)、自己表出=エピソード記憶(漱石文学論のf)、とみる。


    1:意味記憶とエピソード記憶
    章末:品詞を意味段階からエピソード段階までで名詞、代名詞、動詞、形容詞、副詞、助動詞、助詞、感動詞の順にならべている。
    2:言葉の意味と価値
     ・エピソード記憶からみた言語構造の全体の関係を「価値」と呼ぶ
     ・意味記憶からみた言語構造の全体の関係を「意味」と呼ぶ
    3:F+fと言語表現
    4:F+fからみた日本近現代文学史

     エピソードに忠実な話体と意味に忠実な文学体
    5:形式の発展
    7図:記紀歌謡の世界を空間性(意味)と時間制(エピソード)の二軸で表現する。儀式歌が描いている線が傑作である。
    6:内容と形式
    7:発達と価値

     

     価値の定量化について記憶モデルがアドバンテージを持っているのは情報理論との親和性があるからである。クロードシャノンは情報を確率と冗長性でとらえた。これは送り手と受け手が必要とする情報の集合の差分によって価値が決まるが、情報それ自体の価値や美しさを問うことはない。そもそも、電話回線にどのぐらい情報をぶちこめるか、というのが話の発端で情報のエントロピー理論はつくられた。確率と冗長性によって導き出されるのは情報の符号化(意味化)と圧縮(エピソード化)だか、この仕組みが記憶モデルと相性が良く、記憶芸術が記憶されることを価値付けのよすがにしている一つの理由になっている。

     「言語にとっての美」は、もちろん記憶のしやすさや記憶のしにくさ(情報の伝達効率)にあるわけではない。しかし、思い入れからなる芸術の「価値」とやらは、そもそも記憶されなければ思い出されもしない。しかし、ろくに見たこともない芸術作品の価値が、別の作品との関係性によってつりあがる、ということはげんにある。

    情報社会の中で発信者がいて受信者がいる、それを仲介するなかで様々なアトリビューションが作品に付加され社会に還元され価値の形態や質を変えて行く。現代芸術は市場があってなりたつ。

     

     複製技術、出版といったバックボーンから小説という文学ジャンルが芸術としての成熟を見せている時代に、小林秀雄は戦略的に批評という媒体に告白(エピソード独白)という手段を導入して新しいマーケットを確立した。「自分を出汁に他人を語る」表現形式の誕生だ。吉本隆明はその頃批評事業の末席にいて、冗長性が低く、時間性や空間性といったものを色濃く感じさせるような芸術のプロトコルを「作家の思い入れ」として重要視した。
    「勝利だよ、勝利だよ」という沈黙の言葉は批評家の思い入れであり、すべてのエピソードをぬきとれば、この批評は死んでしまう。情報の中にある「意味」とは勝つか負けるかの50%の不確実性であるが、実際のところ、文字を読んだり書いたりしてたれも勝ったり負けたりはしない。読んだ人は「勝利だよ、勝利だよ」というサインを額面通りでうけとるしかない。

     漱石の文学論でもF+fからF'+f'の増加 や、f+f',f-f'などで文学表現中の空間性や時間性の推移を論じているが、これは価値付けのためではなくて定性的なアプローチを文学(芸術)に対して 試みたからに違いない。
     文学表現中の時間性や空間性をそのままデカルト空間にもってって、そのなかで価値がどうだとやるのは、少年マンガの主人公のように、芸術家はひたすらその文学表現中の空間性や時間性の出力や濃度を、身勝手なまでにあげていけば、芸術として良いんだ、という話になりはしないか。





    名画の経済学―美術市場を支配する経済原理

    • 2011.12.31 Saturday
    • 18:12

     原題 PRICING THE PRICELESS -- Art,Artists,Economics(高価なもののねづけ、芸術、芸術家、経済)

     新古典派経済学のリテラシーを用い、芸術作品を財として考え、買われる人、買う人、そして価値付けに参加する人のあらましを説明しながら、財としての美術品がおかれる美術館、その財を生み出す芸術家の経済的な自立をテーマにしている。581ページ。

    経済学といっても数式がバンバン出てくるわけではないので数字が苦手という人にも読みやすい。私たちはゴッホのひまわりを見た事が無くても1987年の3月に安田生命株式会社が58億円で絵画を購入したということを記憶しているかもしれない。公共財としての芸術は、アウラをまとっていたかつての芸術作品とはことなった価値で社会参加しているかもしれない。

     財の希少性が、物そのものの価値ではないのと同じように、情報理論で扱われる情報は、冗長性と希少性においてだけ存在しそこに「重要な情報」を見ることはしない。記憶を媒介とする芸術論には、既存の芸術や情報理論、経済学との親和性を見る。

     実際、この本の中で芸術作品は美を司るもの、というよりは、さまざまな属性(アトリビューション)を持つ情報のようだ。

     

    用語、引用メモ

    ・「もし人々が欲しいと思うだけの量は持っておらず、しかもそれがただで手に入るとする。人々は欲しいだけ手に入れるだろう」(著者の新古典経済学についての要約 ) 

    ・補完財:ワーズワースは「リリカルバラード」を発表した後、一躍有名人になり、彼の家は観光客のメッカになった。そこで彼は、押し寄せる観光客 に飲み物を出した。もちろんカネを取って、である。彼は知らず知らずのうちに、詩とお茶が経済学で言う「補完財」であり、一方の需要が増えれば、もう一方 の財の需要もふえることを知ったのだ。

    ・極大行動に関する仮定:「美術作品も経済学で取り扱う財であり、その価値は市場で決まる。財の生産者と買い手、つまりそれを創る者と恩恵を受ける者は、自分の持ち得るもので最大限の利益を得ようとしている」
    ・極大化:「行動を極大かしようとする人々は、より努力を重ねれば、それだけ見返りを得られると期待できる場合に、より少ない努力で、結果を得ようとする人々のことである」
    ・反市場心理:字の通り、美術館関係者のあいだで顕著である
    ・効用:「ある価値は何らかの効用を持つ」
    ・美的効用:美術作品の価格は、その美的効用について決まる
    「あるモノがその価格に見合うかどうか尋ねるのは、同じ価格であるはずの他のモノについて尋ねることでもある。美術界の人たちはよくこの質問をする」
    ・財産権、コストの極小化、主と従の関係


    評価:
    ウィリアム・D. グランプ
    ダイヤモンド社
    ---
    (1991-09)
    コメント:原題 PRICING THE PRICELESS -- Art,Artists,Economics(高価なもののねづけ、芸術、芸術家、経済) 新古典派経済学のリテラシーを用い、芸術作品を財として考え、買われる人、買う人、そして価値付けに参加する人のあらましを説明しながら、財としての美術品がおかれる美術館、その財を生み出す芸術家の経済的な自立をテーマにしている。581ページ。

    夏目漱石 文学論xタルヴィング

    • 2011.12.31 Saturday
    • 16:50
    評価:
    夏目 漱石
    岩波書店
    ¥ 903
    (2007-02-16)
    コメント:「凡そ文学的内容の形式は(F+f)となることを要する。」というあまりにも有名な一節から始まる漱石の文学論は、一般的にFを観念fを情緒としているが、これはタルヴィングの記憶システム論モデルにおいて定義されている意味記憶とエピソード記憶(=宣言的記憶:Declarative memory)が適用できる。

     「凡そ文学的内容の形式は(F+f)となることを要する。」というあまりにも有名な一節から始まる漱石の文学論は、一般的にFを観念fを情緒としているが、これはタルヴィングの記憶システム論モデルにおいて定義されている意味記憶とエピソード記憶(=宣言的記憶:Declarative memory)が適用できる。
     観念Fは意味記憶(常識)となり情緒fがエピソード記憶(個人的な記憶)となる。実際漱石は文学の陳述性とそれを読む自己の感覚をあつかうために及びfを登場させており、ただいたずらに目に付いた名作といわれる文章の切れ端を観念や情緒という言葉で無理矢理つなげただけの概念とは一線を画している。
     あらゆる文学的な形式をF+f(陳述記憶)であらわし、どちらか一方が欠けている場合(誰かのエピソード、あるいは何らかの意味や定義)はFやfをそれぞれ補ってF+fつまり意味記憶+エピソード記憶=文学形式(陳述記憶)として記憶するのが漱石の陳述記憶芸術のモデルとして考える。

    タルヴィングのモデルで焼き直した、漱石の文学論の記憶芸術的構成
    1 陳述記憶の分類:陳述記憶の形式、陳述記憶の基本成分、陳述記憶の価値等級
    2 陳述記憶の数量的変化:意味記憶の変化、エピソード記憶の変化、エピソード記憶に伴う幻惑、悲劇
    3 陳述記憶の特質:文学的意味記憶と科学的意味記憶
    4 陳述記憶の相互関係:
    5 集合的な意味記憶:意識推移の原則
    CとS、Cは脳の状態でSは刺激5−2意識推移の原則で登場する。
    文学的手段と文学的効果の表 4−7で登場する


    音楽と記憶―認知心理学と情報理論からのアプローチ  ボブスナイダー

    • 2011.12.31 Saturday
    • 15:36
    評価:
    ボブ スナイダー
    音楽之友社
    ¥ 4,410
    (2003-12-01)
    コメント:認知心理学と情報理論のターミノロジーで音楽芸術一般を説明する。

     認知心理学と情報理論のターミノロジーで音楽芸術一般について説明する。
    第一部では認知概念を、第二部ではコンテンポラリーなものを含む音楽概念を扱っており、具体的なデータも豊富なので体系づけながら定量的に音楽と記憶芸術について考えることができるだろう。
     冒頭においてスナイダーは記憶モデルを「エコイックメモリー、短期記憶、長期記憶」に分類し、それぞれ音楽体験の長さに応じて「音色、メロディリズム、形式」を対応させている。これはスクワイアの記憶分類(ワーキングメモリ,STM,LTM,)に類似した分類方法だ。
     短期記憶は一時的「今何が起こっているか」を知るための記憶で、長期記憶は「これまで何が起こったか」を蓄えておく、という抽象的な考え方だ。
     音色の最小単位は50ミリ秒(1秒間に20の音の周期)、つまりこの単位以上の音を我々はメロディーとして鑑賞していることになる。このメロディーの周期は63ミリ秒以上5〜8秒以内となっていてこの5〜8秒というのが短期記憶で取り扱われる時間の上限と対応している。
     この本は音楽という芸術がどのように人々の記憶に残るのか、をテーマにしている述べるわけだが、スナイダーはゲジュタルト心理学の用語であるグルーピングをつかって、それぞれのスパンの音楽体験をクロージャやチャンクといった単位、ストラテジーといった概念で解説する。

    作家は行動する 江藤淳

    • 2011.12.31 Saturday
    • 11:11
    評価:
    江藤 淳
    講談社
    ---
    (2005-05-11)
    コメント:江藤淳、初期批評の代表作。石原慎太郎、大江健三郎らの同世代の文学について論じつつ、ニュークリティシズム譲りの「イメイジ」について批判する。サブタイトルにもなっている文体をここでは漱石の文学論にあるF+fとおき。それぞれFとfをキリアンの意味記憶、タルビングのエピソード記憶に対応させる。文体をF+f(意味記憶+エピソード記憶)とした場合の、この本の見通しは以下のようになる。

    サブタイトルにもなっている文体をここでは漱石の文学論にあるF+fとおき。それぞれFとfをキリアンの意味記憶、タルビングのエピソード記憶に対応させる。
    文体をF+f(意味記憶+エピソード記憶)とした場合の、この本の見通しは以下のようになる。

    1:文章は単なる意味の集積ではない→文体(F+f)について
    2:文体のエピソード(f)的側面→小林秀雄の停滞と行動
    3:エピソードによって独善的となった文体に対する批判
    4:ニュークリティシズム時代の「イメイジ」を媒体とする事により益々独善的となるエピソード記憶
    5:エピソードを適切に意味化することによって独善性を防ぐ事が重要である

    作家論
    大江健三郎 倒錯した文体  f(エピソード)とF(意味)の大々的な置換
    石原慎太郎 動的な文体   f(エピソード)が牽引するF(意味)
    三島由紀夫 静的な文体   F(意味)が牽引するf(エピソード) 

    類似のモデルは吉本隆明の「言語にとって美とは何か」でも見られる。

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