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    愛国の嵐

    • 2012.08.23 Thursday
    • 06:06
     

    愛国と社会の組織化

    Seibun Satow

    Aug, 21. 2012

     

    「彼らは自らを代表することができず、代表されなければならない」。

    カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』

     

     19世紀後半、西欧で愛国の嵐が吹き荒れる。政治参加の拡大に伴い、既成政党が新選挙民をとりこもうと試みる。しかし、彼らは従来の支援者と利害対立している。一例を挙げると、資本家階級と労働者階級は階級闘争している。そこで、政党のリーダーは国外に仮想敵を想定し、国民の愛国心を煽り立てる。「われわれは脅威にさらされている。いがみ合っている場合ではない。一致団結してあいつらを追い払わねばならない」。好都合にも、外国人は有権者ではないので、いくら攻撃しても対立勢力に投票することもない。

     

     この手法は市民社会の組織化がまだ十分ではない状況で効果を発揮する。いくら政治家が愛国を訴えても、国民にそれを受けとめる環境がなければ、相手にされない。政治における代表する者と代表される者との関係が浮動しているので、政治家も国民も国家との結びつきを強める。例えば、労働組合が整備され、それを支持母体とする政党が登場して、議会選挙に臨む態勢が確立していれば、労働者階級は意思反映を国家に直結することはしない。しかし、そうした状態がないなら、本来利害が衝突するはずの保守主義者が愛国心に訴えて労働者層の支持をとりつけることもできる。英国のベンジャミン・ディズレーリはまさにこの手法、すなわち「ジンゴイズム(Jingoism)」で低所得者層から圧倒的な支持を獲得している。

     

     西欧各国でこうした愛国政治や軍事化が展開されたが、それは外交を危うい状態にしてしまう。19世紀の欧州では力の均衡が外交理論として共有されている。同盟を柔軟に組み替えて各国の力の均衡を維持し、欧州全体を巻きこむような大戦争を防ぐ。それを保つためには、小さな戦争も外交手段に含まれる。この共通理解の下で各国が外交を繰り広げ、ナポレオン戦争以来、欧州では大規模戦争が起きていない。ところが、このルールが19世紀末に崩れる。

     

     外国を仮想敵にして民意の支持を得て権力を掌握したので、政権は対外強硬姿勢をとり続けなければならない。ちょっとでも妥協すれば、弱腰と世論から糾弾される。そのため、各国政府はさして重要でもない外交課題でさえ引くに引けなくなり、挙げ句、力の均衡と関係のない戦争にまで至ってしまう。領土や権益は国際関係の問題であるけれども、相互の社会の対立に発展する。欧州全体を巻きこむ第一次世界大戦はこうした背景の下で起きている。

     

     現在、日中韓の間で領土問題をめぐり愛国が熱くなっている。それぞれ事情は異なる。竹島については李明博韓国大統領の挑発行為、尖閣諸島をめぐっては中国の反体制派による魚釣島への上陸が今回の直接的な発端である。前者がジンゴイズムであるのに対し、後者は中国当局が世論の沈静化を図っている。

     

     とは言え、この状況を考える際、かつての西欧の歴史の教訓から、三国共に市民の組織化が不十分だという点を見逃してはならない。いずれも組織化の経験に乏しく、社会変動に見舞われ、国内政治における代表する者と代表される者との関係が浮遊している。社会集団と政党とのつながりが希薄化し、政党も国民も国家との結びつきを強める動きがすでに起きている。

     

     中国共産党は、従来、前衛的労働者階級を代表し、富農を除く農民階級を同盟者として、資本家階級に敵対する階級政党である。しかし、三つの代表論を経て、2002年、綱領を変更し、労働者階級の前衛であると同時に、中国人民と中華民族の前衛であると包括政党へ転換している。

     

     マルクス主義からナショナリズムへのイデオロギーの変更は社会変動に合わせているが、当時の江沢民国家主席は人民に愛国を訴えている。代表する者と代表される者の関係が浮動したため、国家によって人民と共産党の一体感を獲得しようとしている。前段の三つの代表論ですでに具体的イメージに乏しく、ジョークのネタになっていたほどだ。新綱領は代表する者と代表される者との関係の曖昧さを物語っているのであって、共産党が中国社会とのつながりを見失いつつあることを示している。加えて、毛沢東時代の政治動員の経験はあっても、今日に至るまで市民社会の組織化は無に等しい。

     

     中国当局としては、デモを管理した上で行わせ、ガス抜きに利用したい思惑があるだろう。そうすれば、デモを外国へのメッセージにも活用できる。けれども、政治参加が抑制されたままでのデモは、意思表示の機会がない以上、暴徒化する危険性をはらんでいる。日本でも、普通選挙制度が実施される以前、日比谷焼打ち事件を筆頭に民衆暴動が少なからず発生している。何らかの選挙を行わない限り、民衆のガス抜きができず、中国のデモは暴力傾向に歯止めがきかない。現段階で、共産党に代わって統治できる政治勢力は存在しない。選挙も限定的にならざるを得ないが、もししないと、騒乱を招きかねない。

     

     韓国では、2012年末に実施される大統領選挙の候補者として、安哲秀ソウル大学校融合科学技術大学院院長の名が挙がっている。彼は既成政党と距離を置き、世論調査でも高い期待率を示している。同国でも、既成政党への不信感が高まっている。けれども、市民社会の組織化も未整備である。

     

     韓国の民主主義は1992年に発足した金泳三政権から始まっている。20年ほどの歴史しかない。しかも、アジア通貨危機によって国家破綻の瀬戸際に追いこまれるなど決して順調に進んできたわけではない。例えば、同国は日本よりもセーフティー・ネットが弱く、不況に陥ると、失業者が自衛策として自営業を始める傾向がある。韓国社会には急速な高学歴化や労働市場の流動化、階層の両極化などの特徴があり、市民社会の組織化が進みにくい。

     

     代表する者と代表される者との関係が不安定であるため、政党の離合集散が繰り替えされている。貧富の格差の拡大を始め社会の亀裂もあり、大統領の椅子を狙う有力政治家は支持母体から組織的な支援を調達するよりも各種のメディアを通じて有権者に直接訴える手法を採用する。こうした無媒介性の共通基盤として国家もしくは民族が持ち出される。

     

     日本は、中韓と比べて、民主主義の歴史が長い。ただし、市民社会の組織化が進んでいるわけではない。戦後民主主義への嫌悪が保守派の間に根強く、それによって培われた価値観を尊重し、市民社会を組織化する動きに敵対的ですらある。

     

     55年体制は東西冷戦と高度経済成長に適合した政党システムである。90年代に暗黙の前提が崩れた時、政党は社会の代表としての信頼を市民から失う。もちろん、創価学会と公明党のような例外もある。1995年の阪神・淡路大震災を契機に、市民の政治参加の意識が高まる。市民社会を組織化する課題はこの時から本格化したと言える。

     

     こうした状況下、国民の既成政党への不信感が高まる。彼らは自分たちを代表していない。そこで、一部の国民は国家との結びつきを強め始める。変動する社会とのコミュニケーションがうまくできないため、国家との一体感をアイデンティティとして見出す政党の動きも活発化する。リーダーは、社会変動に伴う従来の支援団体の弱体化もあり、各種メディアを利用して有権者に直接訴え、自分個人への人気を政党支持に拡張しようとする。その際、しばしば愛国が持ち出される。

     

     こういった三国の現状では、外交はデリケートにならざるを得ない。経済の相互依存が進んでいる遍在、お互いの社会の対立は好ましくない。愛国が噴き出すような懸案事項はこれまでの積み重ねに沿って慎重に対応するほかない。

     

     戦前の日本の帝国主義が中韓の人々を苦しめたことは確かである。そのことについて批判するのももっともだ。しかし、と同時に、中韓もその愚かさを教訓として学に、自分たちはそれを絶対にすまいとしていく必要もある。

     

     愛国から少々離れるが、市民社会の組織化の観点から考えると、過去数年の日本政治の動向も理解できる。市民社会の組織化に政党も積極的に関与しないと、無党派層が拡大する。これは無投票層ではない。選挙の度に有権者は失政に憤って野党に投票し、政権が不安定化する。民主党が市民社会の組織化に関心を寄せていたが、松下政経塾出身者を始め旧態歴然たる保守主義者を多く抱えているため、中途半端に終わる。政治は停滞し、その打開策として、政党は民自公による三党合意のようなカルテルを結ぶ。なお、大連立も政治カルテルである。複数政党制は、異なる理念を持った政党が有意義な政策を競って国民に選択肢を提案するものだが、それが形骸化する。

     

     こうした状況下、既成政党を批判し、政治停滞打破を主張する政治家が登場する。各種メディアを利用して直接有権者に自説を訴えかける。この手法は直接選挙で選出される首長にとって非常に有効である。中には派手な言動を話題を振りまく首長も見られるが、その主張は新保守主義である。民営化政策を促進する一方で、国家との結つきを強調し、失政の責任を労働組合や中央省庁など既成のシステムに押しつけ、国政への色気を隠そうとしない。

     

     こうした新保守主義の首長を最も支持するのは豊かな層である。貧しい層が熱狂的に推しているわけではない。蟹工船ブームを経て、新保守主義政策が自分たちに不利に働くとわかっているからだ。現代日本政治を分析する際、疎外論は適切ではない。

     

     豊かな層は、厳しい国際競争の中で苦境にある日本を支えている自負もある。彼らは貧しい層に同情的ではない。同じ時代を生きながら、自分たちはちゃんと成功している。貧しい人たちは自身にその非があるからだ。富の再配分にも、当然、否定的である。既成政党は既得権益を守るばかりで、これだけ社会に貢献している自分たちを代表していない。彼らは、そのため、国家との結びつきの意識が強い。その不信感に応える政治家を待ち望む。けれども、その支持は穏健もしくは消極的である。あまりにラディカルな政策を実施して社会が混乱し、せっかく築いた自分の地位や財産を失うことは避けたいからだ。

     

     官邸デモも市民社会の組織化の未整備による現象の一つである。これは動員ではなく、自然発生的に始まったものであり、政治的にも幅広い層が参加している。既成政党は社会を代表していない。311を踏まえて新しい社会の建設に向けた政策を実施していかなければならないのに、永田町は社会と遊離した政治ゲームに明け暮れている。今の政権は原発再稼働をするなど民意を反映していないが、市民には意思表示の機会がない。それなら、自分たちで作るまでだ。組織化が遅れているからこそ、シングル・イシューへのアドホックなコミュニティには抵抗感も少ない。

     

     愛国は政治と社会の信頼関係が損なわれた状況に忍び寄る。それは国際関係の信頼まで悪化させてしまう。現代東アジアの政治課題は市民社会の組織化である。その上で、代表する者と代表される者との信じ合える関係から健全な統治が実施され、国際関係でも良好なパートナーシップが確認されるだろう。

     

     他国へのホスピタリティのない愛国は自惚れにすぎない。それは、空想の中での誇示を現実化しようとして、課題の解決をかえって困難にする。

    〈了〉

    参照文献

    原純輔他、『社会階層と不平等』、放送大学教育振興会、2008

    カール・マルクス、『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』、村田陽一訳、国民文庫、1971


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