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    インディラVSシンジケート

    • 2012.09.17 Monday
    • 08:17

    インディラVSシンジケート

    Seibun Satow

    Sep, 14. 2012

     

    「愛は平和ではない 愛は戦いである 武器の代わりが誠実であるだけで それは地上における 最も激しい 厳しい 自らを捨ててかからねばならない戦いである─ わが子よ このことを覚えておきなさい」。

    ジャワハルラール・ネルー

     

     今回の自民党総裁選挙には長老の影がちらつく。しかも、それは世論の印象が悪く、先祖返りの様相がある。

     

     伝統社会では、変化がゆっくりして、暮らしと稼ぎの場が一体化しているので、長生きは知恵の蓄積と同じである。長老は共同体のためにその経験を活かすものだ。ところが、近代社会は変化が速く、賃金労働が支配的なため、生活と労働の場が分離している。長老の経験も必ずしも役に立たないどころか、非常識でさえある。保身のために、時代の流れを逆行させようとする老害でしかない場合も少なくない。

     

     政治家になると、その仕事に長期に携わることが多い。政界には精通してくるが、それと関連する国内外の環境の変化にその経験で必ずしも対応できるものではない。残念ながら、バランス感覚に優れた食えないタヌキはなかなかいない。日本以外でも政界の新陳代謝は課題である。

     

     その最も苛烈な例の一つがインドのインディラ・ガンディーのケースである。彼女は、5年間に亘る長老との権力闘争の末、勝利を収めている。しかし、それは成功談としてよりも、真似すべきではない多くの教訓を含んでいる。

     

     インドは連邦制ながら、相対的に中央集権制が強い。しかし、独立運動の中核で、現在に至るまで国政の大半の時期を担ってきたインド国民会議派は、本来、分権的な組織である。これにはマハトマ・ガンディーの方針が影響している。独立を達成するには、運動のすそ野を広げる必要があり、それには参加要件を緩和するべきだ。会議派内での英語以外の言語の使用を認めたり、幹部人事を党内選挙にしたりしている。それによって、会議派の勢力は拡大した反面、自立した地方権力が育つことにつながっている。

     

     地方の地主は会議派の重要な支持層であり、彼らの利益を代弁する政治家を「シンジケート」と呼ぶ。会議派はコンセンサス政党であり、内部に多くの派閥を抱え、その競争が組織全体のダイナミズムを生み出している。シンジケートは会議派右派に属し、独立後、ジャワハルラール・ネルーに代表される会議派左派との間でしばしば経済政策をめぐって権力闘争を繰り広げている。

     

     ネルーは、農業政策として、農地改革による生産量の向上を考えている。土地を再配分すれば、新たな自作農たちには働いた分だけ自分の稼ぎになるインセンティブがあるから、これまでよりも生産量が増えるだろう。この政策は補助金を支出する必要がないので、政府の財政を圧迫しない。

     

     ところが、地主たちは頑強に農地改革に抵抗する。法案はシンジケートによっていつも骨抜きにされ、一向に再配分は進まない。しかも、生産量を増やすためにと補助金の支出が相次ぎ、財政を苦しくする。

     

     1964年にネルー首相が心臓麻痺で急死する。シンジケートは談合して、ラール・バハードゥル・シャーストリーをその後任に推す。ところが、同首相も66年に在職中に亡くなってしまう。シンジケートは急遽後継者を選ばなければならなくなる。白羽の矢が立てられたのがネルーの娘インディラ・ガンディーである。

     

     世間は48歳の女性首相を党内の長老の操り人形と見ている。組閣もシンジケートが実質決めている。とは言うものの、インディラはネルーの娘であり、父の左派路線を引き継ぐと目されている。けれども、大きな政治的危機がそれを許さない。

     

     当時、インドは全国民の65%が貧困に陥ったほどの大飢饉に見舞われ、世界銀行に支援を要請する。しかし、それにはルピーの切り下げや規制緩和、緑の革命の導入など自由化政策の採用が条件とされている。就任したばかりのインディラはその受け入れを決断する。

     

     この政策転換は党内左派からの激しい反発のみならず、世論の不評も買う。迎えた67年の総選挙で、会議派は国政では何とか過半数を維持したものの、地方では主要15州のうち8州で政権を失うという大敗に終わる。シンジケートも多数落選している。新政権は、この選挙結果を受けて、経済路線を再び左傾化させる。

     

     しかし、この転換はアメリカとの関係を悪くする。ジョン・F・ケネディ大統領は、相談役のジョン・K・ガルブレイスを駐印大使に任命するなどインドに友好的だったが、後任のリンドン・ジョンソン大統領は距離をとる。米国が印パ関係の悪化を理由に米国が援助を打ち切ると、その影響下にある世銀も支援額を減らす。そこで、インディラはソ連に接近していく。

     

     67年選挙の結果はインディラ自身には好機に映る。彼女はことあるごとに何かとうるさい長老連中を一掃することを決意する。手始めに、シンジケートを無視して、組閣を自前で行う。以後、インディラとシンジケートの関係は日増しに険悪化していく。シンジケートにすれば、インディラは知名度はあっても政治力が弱いから傀儡にできると思っていたのだが、政治勘のいい彼女はその誰よりも上手だということが明らかになる。

     

     党の役職を選ぶ選挙を停止し、自らの任命制に変更する。また、中央の言うことを聞かない自立的な地方権力者が育たないために、州首相に政治力の弱い人物を意図的に配置している。会議派ではインディラへの忠誠心こそが何よりも決定力を持つようになる。

     

     けれども、インディラのリーダーシップは、中長期的に見ると、その望み通りと言うよりは、地方での会議派自体の影響力の衰退を招いている。

     

     組織では、金もさることながら、人事権を握った者が強い。シンジケートが談合で人事を決めていたのに対し、インディラはトップ・リーダーが人事権を握るように制度変更している。しかし、いずれも極端で、人事のより開かれた民主的手続きへと構築し直すことが望ましいはずである。

     

     会議派州政権に政治力の弱い指導者が就いたせいで、逆に権力闘争が激化している。どんぐりの背比べのような政治家たちが、「あいつが首相になれるなら、俺だっていいはずだ」とばかりに、ポストをめぐる激しい合戦を展開する。調停者としてのインディラの党内基盤は強化されるものの、激烈な抗争により州政府の統治能力が低下している。

     

     また、中央政府は大統領直轄統治を利用して非会議派政権を頻繁に解任させる。これにより地域主義を潰し、中央集権制の強化を図り、10年ほどは成功する。しかし、80年代に入ると、それへの反発が高まり、地域主義に基づく地方政党が登場、州の会議派政権のみならず、中央の会議派支配まで脅かすようになる。

     

     日本の政界では、実力者が権力基盤を強化するために、しばしば「神輿は軽い方がいい」と政治力の弱い指導者を祭り上げたり、イエスマンを要職に配置したりすることがある。しかっし、それは中長期的には組織の弱体化を招く。政治力の弱い人物をリーダーにしたり、要職に就けたりすることは組織の秩序を不安定化させる。人事のアナーキーさは統治能力の弱体化につながり、そこにつけこむ小物の権力闘争が激化して事態は悪循環に陥る。

     

     近年、民主党の代表にしろ、自民党の総裁にしろ、選挙をすると、候補者が乱立し、しかも粒が小さい。ポストにはそれにふさわしい政治力の人物を配置してこなかったからである。安倍晋三や野田佳彦などのような小物を首相にすることが最近の政界の混乱の一つの原因でもある。小粒が乱立するようなトップ選びの政党は統治能力が弱いと吐露しているのであり、政権を担当させるのは危険である。

     

     インディラとシンジケートの関係はもはや修復不可能なまでに悪化する。その頂点に達するのが1969年である。この年行われる大統領選挙の候補者としてシンジケートはニーラム・サンジーヴァ・レッディを擁立、それに対し、インディラもヴァラーハギリ・ヴェーンカタ・ギリを対抗馬に担ぎ出す。彼女は自分が進めた67年の自由化路線を捨て、銀行国有化を発表して左派の協力をとりつけ、抗争は党内左右の派閥対立に発展する。同年末、両派は決別し、会議派大分裂に至る。その結果、インディラ政権は議席の過半数を失い、少数与党へと転落する。

     

     このままでは政権運営がままならない。理念が違うので、数合わせのために他党を与党に引き入れることもできない。けれども、総選挙で事態を打開しようにも、右派が去ったために、地方の地主の協力が得られず、集票力が大幅に低下している。八方塞だ。

     

     しかし、インディラは、71年、1年前倒しして総選挙に打って出る。そのスローガンは「貧困追放」である。

     

     インドには膨大な貧困層の有権者がいる。地方組織に頼らなくても、そうした人々に直接訴えれば選挙に勝てる。インディラは大キャンペーンを張り、かつてない規模の遊説を展開する。その際、インディラは、シンジケートを保守反動の抵抗勢力と糾弾し、インド人民を救えるのは自分だけだと熱弁をふるう。この真にわかりやすい二項対立が功を奏し、インディラ派は圧勝する。

     

     コンセンサスの政治を打破するため、二項対立の図式をつくって仮想敵を攻撃し、有権者に直接訴えて広範囲に支持を獲得、権力基盤を強化してトップダウン政治を実現する。こうしたインディラの手法は、その後、多くの政治家が採り入れている。マーガレット・サッチャーや小泉純一郎などはそういった例である。

     

     総選挙後、インディラ政権は社会主義的色彩の濃い政策を実施する。ただ、輸入代替の限界が綺羅化になり、途上国政府が輸出志向へと政策転換していく中で、統制下を勧めては工業部門の失敗は目に見えている。しかし、農業部門では、農地改革の実施や緑の革命の導入のため、70年代後半に食糧自給がほぼ達成される。

     

     インディラ政権は概して強権的で、民主的制度を一時期停止したことさえある。77年の総選挙では敗北し、初めて会議派を下野さてしまう。80年の総選挙で、対抗勢力が分裂したおかげで、政権に返り咲く。インディラが最初に首相に就任して以来、インド政界の主要な対立は「親インディラか、反インディラか」というものである。

     

     奇妙な偶然であるが、今度もインディラが最初に直面したのは国際機関への経済支援である。国際収支の赤字によりIMFに融資を要請し、その条件である自由化を呑む。ただ、前回の経験を踏まえ、その速度を漸進的にする。彼女も成長している。

     

     しかし、変わらぬ点もある。80年代に入ると、地域主義が勃興する。中には過激な主張や手段に訴える勢力も登場する。インディラはこうした動きに強硬策をとる。846月、シク教徒の分離主義運動をインド軍が軍事的に制圧し、シク教の整地黄金寺院もその攻撃で破壊される。彼女への反発は彼らの間で強まる。19841031日、インディラ・ガンディーはシク教徒の警護警察官によって暗殺される。

     

     8411月のある日、東京に住む佐藤清文という18歳の少年に父親からの手紙が届く。達筆な母と違い、筆まめでもない父がどうしたんだろうと封を開けると、白い便箋数枚に亘ってその年インドで起きた一連の出来事への憤りが記されている。

     

     あのようなことは法治国家であってはならない。昔は徳治主義の社会だ。有徳者が治めているのだから批判はけしからん。反対意見へも攻撃的になる。一方、法治主義はルールを守ってするなら、権力者への批判もできる。相手の意見を尊重しながら、自分も主張するものだ。暴力は新たな暴力を生み出す。力に頼る解決は見せかけでしかない。事態をかえって複雑にしてしまう。本当に政治に必要なのは知恵と粘り強さだ。─そんなことが筆圧の強い、小さくまとまった字でつづられている。

     

     この一通を除いて、佐藤清文が父から手紙を受け取ったことはない。彼は今もその言葉を肝に銘じている

    〈了〉

    参照文献

    堀本武功他、『現代南アジアの政治』、放送大学教育振興会、2012

     


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