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    中国のデモ

    • 2012.09.17 Monday
    • 22:22

    中国のデモ

    Seibun Satow

    Sep, 15. 2012

     

    「革命尚未成功」。

    孫文

     

     中国のデモには、他で見られない特徴がある。それは、「愛国無罪」や「造反有理」など民衆が自分たちの行動を正当化するスローガンを掲げる点である。

     

     通常のデモでは、「アメリカに死を!」や「大飯原発再稼働反対!」のように、主張だけが押し出され、いちいち自らを正当化しない。独裁体制にあっても、ナショナリズムに先導されたデモが起きることがあるが、そこでも同様である。

     

     デモにおいてメタスローガンが示されるのは、おそらく、中国の支配構造に由来している。中国共産党は人民の意思を代行して統治しているのが建前であるが、実際には、官僚と知識人が民衆を指導している。実は、この構図は皇帝時代も同じである。中国は伝統的に官僚と知識人が民衆を支配している。

     

     この支配構造は、皇帝時代には、以下のように正当化されている。皇帝が支配者であるのは徳があるからである。皇帝は世界の中心に位置する。この徳を慕って周辺地域から使者が貢物を持ってやって来る。皇帝はその礼に対して褒美とその地域を支配する権利を与える。これが朝貢貿易と冊封体制に基づく華夷秩序である。

     

     有徳者である皇帝を批判することは絶対に許されない。徳があるので、忠告に耳を傾けることもあるが、それは義務ではない。皇帝への批判は徳に背くことであるから、徹底的に糾弾されなければならない。反対意見も尊重して、自分の考えを主張する民主主義的発想は皆無である。官僚や知識人にはその皇帝の意思を理解し、補佐する役割がある。

     

     皇帝自らが批判に対して答えた稀有な例もある。明清交代により、中国は華夷思想において「夷」とされる満州族に支配される。1728年、華夷思想に立脚して反清イデオロギーを広め、四川総督に王朝打倒をそそのかした容疑で曾静が逮捕された。通常、こうした行為には凌遅刑による死刑が適用される。ところが、雍正帝は彼を生かすことにし、その代わりに、取調中に清朝支配が儒教道徳上正統的であると自己批判していくやり取りを『大義覚迷録』として公にする。

     

     徳のある者のみが天に従うことができるのであって、天が味方する際に、その出身地   によって区別することがあり得ようか。わが清朝は東の地方から興り、優れた君主が相次ぎ、天下を安んじ、天の恵みを受け、徳を広め恩を与え、民に安定した生活をさせ、内外の人々に慕われること、すでに百年にもなる。()漢・唐・宋などの王朝は全盛時代にあっても、北狄や西戎の侵入に苦しめられ、その土地を服従させることができなかったために、華夷の区分を建てざるを得なかったのだ。わが王朝が中国の主人となってからは、天下に君臨し、モンゴルの辺鄙な諸部族に至るまでわが領土に入っている。これは中国の領域が広大になったということで、中国臣民の幸いであるのに、どうして華夷・内外の区分を論ずることがあろうか。

     逆書(曾静(反女真的な人 ベティ注)が心を批判した書)では、夷狄は人類と異なるといって禽獣であるかのように罵っている。そもそも人と禽獣との違いは心に仁義があるかどうかということだ。山中の野蛮人で、道徳も礼儀も知らないというなら禽獣と同じかもしれないが、今日のモンゴル四十八旗、ハルハなどを見るなら、君主を尊び目上を敬い、盗賊は起こらず、殺人事件も稀で、詐欺や盗みの習慣はなく、穏やかでなごやかな風俗がある。これをどうして禽獣といえようか。種族的な意味では満州族は確かに「夷」であり、わが王朝は夷狄の名を避けようとは思わない。孟子は、古の聖王である舜も「東夷の人」であり、周の文王も「西夷の人」だと言っているではないか。ここで夷といっているのは出身地のことで、現在の本籍のようなものにすぎないのだ。

    (『大義覚迷録』)

     

     このような理路整然とした皇帝の徳によって、反清イデオローグが自らの過ちを認め覚醒していく。

     

     王朝交代の際、実は、明の遺臣の一部は清に仕えることを拒否して抵抗、もしくは亡命している。その一人である朱舜水は日本に逃れる。彼は、夷狄によって支配された中国ではなく、日本こそが中華であると主張し、水戸光圀を通じて水戸学に影響を与える。その後、山鹿素行も『中朝事実』の中で同様の意見を述べている。しかし、『大義覚迷録』の論理的精度と比較すると、こうした日本中朝主義は粗雑な自惚れでしかない。

     

     皇帝から共産党へと統治者が代わっても、支配構造はあまり変化していない。孫文の革命運動にとっても人民の政治参加は大きな課題である。それには言論のルールを理解していなければならない。しかし、革命を経ても、官僚と知識人が民衆を指導する構造は本質的に存続する。

     

     この支配構造に本格的に挑戦したのが文化大革命である。文革の開始にはさまざまな背景がある。官僚や知識人が情的にされたのは、支配構造に起因している。人民は有徳者に反対して自分の意見を主張するのだから、その行為を正当化しなければならない。しかし、もしそれさえできれば、何をしても許されることになる。これまで官僚と知識人が人民にした仕打ちを思い知らせてやらねばならない。

     

     終了後でも、中国で起こる民衆デモは、文革の姿がちらつく。それだけに、官僚と知識人はその再来を恐れている。

     

     通常のデモではスローガンは主張である。行動は主張のための手段である。主張が正しいかどうかだけで十分である。と同時に、行動によってはその主張が世論から見放される場合もある。デモの参加者数や規模は当局の見方と必ずしも連動しない。

     

     一方、中国のデモにおいてスローガンは行動の正当化である。そこでは行動自体が目的である。行動は歯止めを失い、エスカレートする危険性がある。当局が自分たちの行動をどう認識しているかに反応して、参加者数や規模が伸縮する。

     

     民主主義において、反対意見でも相手を尊重した上で、自分の考えを述べて、議論することが当然とされている。そのため、意見表明自体を正当化する必要はない。こうした言論のルールが中国には、残念ながら、まだ根づいていない。

     

     もちろん、外の世界に人民も容易に触れることができるようになり、認識も変わりつつある。中国に民主主義が定着した時、デモからメタスローガンは消えるだろう。それは中国史上最大級の革命になる。

    〈了〉

    参照文献

    岸本美緒、『中国社会の歴史的展開』、放送大学教育振興会、2007


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